スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

多言語相談・Helpline for Foreigners

多言語相談ヘルププラン

どんな悩みでも相談してみてください。 一緒に解決を考えてみませんか?   

通訳者と法律専門家等が電話でお答えします。

(フリーダイヤル) 0120-279-338



(実施団体) 全国12団体の持ち回り当番制で電話相談を受けます(無料)。





(実施期間) 3月11日~31日 (21日間)



中国地方の皆様も上記の期間電話で相談できます。    

特に3月13,20,27日(火)の3日間 16:00~22:00    

は、広島県廿日市市の市民活動グループ 「ええじゃん(Asian)」 が、当番となり、中・韓・英・比語で電話相談を受けます。

http://279338.jp/yorisoi/index.html (外国語版は準備中)





.
スポンサーサイト

よりそいホットライン多言語相談・Helpline for Foreigners

■全国どこからでも、かけられます。よりそいホットライン

■전국 어디에서 걸 수 있습니다. 요리소이 함께하는 핫라인

多言語相談・Helpline for Foreigners  3/11(日)10:00からスタートします!!■

Helpline for Foreigners 3/11(일) 10:00부터 시작합니다!! ■

①日本にいたいけどどうしたら良いかわからない。

1.일본에서 계속 살고 싶지만 어떻게 해야 할지 잘 모르겠다.

②差別されているけれど誰にも言えない

2.외국인이라고 차별받고 있지만 아무에게도 말할 수 없다.

③日本語がよくわからなくて、役所で手続きができない

3.일본어를 잘 몰라서 관공서의 수속절차를 잘 모르겠다.

④日本の学校に入りたいけど、方法がわからない

4.일본의 학교에 들어가고 싶지만, 들어가는 방법을 잘 모르겠다.

⑤自分の言葉で相談を聞いてほしい。

5.모국어로 상담을 하고 싶다.

そんな悩みを持つ方の外国語での相談を受け付けます。全国どこからでもかけられます。通話料無料です。

0120-279-338 (フリーダイヤル)にお電話ください。

그런 고민을 가진 분의 모국어 상담을 받습니다. 전국 어디에서 걸 수 있습니다. 통화료 무료입니다.

0120-279-338(무료전화(free dial))로 전화 주십시오.

よりそいホットラインの日本語ちらしは以下のページからダウンロード出来ます。

요리소이 함께하는 핫라인의 일본어전단지는 이하의 홈페이지에서 다운로드할 수 있습니다.

http://279338.jp/yorisoi/index.html

<相談の手順>

0120-279-338

  ↓

音声ガイダンスが流れます。음성 가이던스가 나옵니다.

  ↓

「2」番を押してください。「2」번을 눌러 주세요.

<対応言語>

英語、タガログ語、韓国語、中国語、スペイン語、ポルトガル語、タイ語

영어, 타갈로그어, 한국어, 중국어, 스페인어, 포르투갈어, 태국어

英語[영어]     月10-22時、火10-22時、水10-16時、木16-22時、金10-16時、日10-22時

タガログ語[타갈로그어]月10-16時、火16-22時、水10-16時、木16-22時、金10-16時、日10-22時

韓国語[한국어]    火10-22時、金16-22時、土16-22時

中国語[중국어]  月10-22時、火16-22時、水10-16時、木10-22時、金10-22時、土16-22時、日10-16時

スペイン語[스페인어]  水16-22時、木10-16時、金10-16時、土10-16時、日10-22時

ポルトガル語[포르투갈어] 水16-22時、木10-16時、金16-22時、土10-16時、日10-22時

タイ語[태국어]    月16-22時、水16-22時、土10-22時

<相談受付期間>3/11(日)~3/31(土) 3/11(일)∼3/31(토)

※この事業は厚生労働省社会援護局の補助金を受けたモデル事業です。

※ 이 사업은 후생 노동성 사회원호국의 보조금을 받은 모델 사업입니다.

※電話に対応するのは、全国で外国人相談を行っているNGO団体です。

※전화에 대응하는 것은, 전국에서 외국인상담을 전문으로 하고 있는 NGO단체입니다.

.

副代表の尹成化です。世界を

45日間の放浪記  IN New York

I  LOVE NY

 アイ  ラブ ニューヨーク


皆様にお願いがあります。
日本語の誤字、脱字、文書の誤りには充分気を付けましたが、一分でも早く皆様にニューヨークの便りを送りたいと思い文章矯正が出来ていません。ご了承お願いいたします。
この旅行記は私(ユンソンファ)を知っておられる知人、友人の皆様に当てた一斉送信のメールです。こちらに書いている地域、お店などはあくまでもユンソンファ個人の経験を元に書いたものです。違う見解もあると思います。
カナの表記は現地の英語の発音を真似てユンソンファ個人が書いたものです。
写真はミニホームページに載せております。どうぞ、ご覧になってください。

見方;http://www.cyworld.com/yun525

皆様のご指導を承りますようよろしくお願いいたします。

知人、友人皆様へ

始めに

多事多難の2008年を如何お過ごしでしょうか。2008年は閏年ですね。閏年には世界的に大きな行事が2つありますが、皆様はお気付きでしょうか。私はこのように覚えています。その一つは閏年には4年に一度の夏季オリンピックが有ります。二つ目はアメリカでは大統領選が有ります。これが世界的に大きな行事とも言えるでしょう。そして今年はもう一つの大きな行事、私事ですが、私にとって大きな行事が3つありました。それは中学校3年の娘が高校受験であること、小学校5年の息子がソフトボールクラブでレギュラーになること、中学校受験に向けて頑張ること、そして最後一番のビッグなニュースは昨年9月に結婚し、10月からニューヨークに住処を変えた、ニューヨークに住んでいる弟夫婦に子供が生まれることです。

ニューヨークへ行く
2008年10月12日(日曜日) 広島-羽田JAL12:10-13:30

今年の始めに、ニューヨークに住んでいる弟(皓殿、ホジョン)から「姉ちゃんだけに初めて教えるね。また韓国にいる父や兄夫婦には内緒だよ。」と言われ、どんな秘密をニューヨークから打ち明けられるのだろうと、びくびくしながら受話器のこちらにいました。その秘密と言うのがこれだった。「姉ちゃん、彼女が妊娠したよ!」
少し間をおき私はすぐ言った。「おめでとう!!!デカシタゾ!!!」私は義理の妹(へソン)に感謝の気持ちでいっぱいだった。本当に有り難う。弟に家族を作ってくれて有り難う。弟のわがままに付き合い自分の仕事を犠牲にして一緒にニューヨークへ行ってくれて有り難う。留学生生活で大変だろうに子供を生んでくれて有り難う。いつもへソンには感謝、感謝の気持ちでいっぱいだった。
春が過ぎ彼女も安定期に入ったところ、またニューヨークから電話が来た。彼女のお産に来てくれないかとの願いの電話だった。しばらく悩んだ。娘の受験、息子のソフトや塾通いでお弁当作り、犬の散歩、家事一般、炊事、洗濯、私の仕事はどうするかだった。一人ですごく悩んで夫に相談した。すると夫は「行って来いよ。」一言で許可を出してくれた。さすが、私の夫!私はニューヨークへ旅立つこととなった。

私がニューヨークへ旅立った理由
2年前に母を亡くした。57歳。脳出血だった。8月のとても暑い日だった。ちょうどその年の2月中旬から私は韓国で15年ぶり一緒に住んでいた。子供が韓国語が出来なかった事、前の年、母の病気、3ヶ月間の入院の際、何も出来なかった事への悔やみがあり、翌年私は中学校に入学したばかりの大事な時期の娘と小学校3年の息子を連れて、実家に15年ぶりの1年間一緒に住もうね、との約束で里帰りしたのだった。仕事も見つかり、会社の事務と、短期大学で非常勤講師だった。しかし、元気だった母は、その年の8月に倒れ、一週間後脳出血で亡くなった。韓国へ長い里帰りが虫の知らせだったのだろうか。

その後、ホジョンはその年、5月から付き合っていた彼女から「お母さんがいなくなって寂しくなったから、可哀相だから、私が結婚してあげる。」逆プロポーズされた。彼女はその年の12月にでもホジョンと式を挙げると大騒ぎだったが、来年3月に兄が結婚式を控えていること、付き合って3が月も立たない事で、もちろん彼女のご両親から結婚は早いと反対されしばらく付き合うことになった。しかし、結局翌年3月に兄の結婚式が終って5月にホジョンと結納を交わし、9月盛大に結婚式を挙げた。弟31歳、彼女26歳。そして弟は会社を辞め彼女とニューヨークへ旅立った。

初めての海外旅行
韓国と日本を行き来しているが、その他の国へは行ったことがない私にとってニューヨークは初めての海外であった。

私がニューヨークに行くことで失う事。
家族との2ヵ月間の空白、夫へわがまま、妻としての不誠実さ。家事、炊事のサボリ、中3の娘の受験に2ヵ月付き合えないこと、娘に私がいない間、家事をお願いしなければならないこと、息子の塾の晩飯を作ってあげられないこと、ソフトに応援に行けないこと、犬の散歩が出来ない事、仕事を辞めなければならないこと、主婦が2ヵ月も家を留守にすると周辺から白い目で見られること、ニューヨークまで行く飛行機代、旅費、2ヵ月間のニューヨークでの小遣い、お金の問題。
しかし、私が得られる事。一年ぶりに弟夫婦に会える、甥だそうだが、初めて甥に会える、それも摩天楼で。お産の手伝いが出来る。私は日本で二人の子供を生んだが誰からも手伝いがなく、退院後、夫と二人でお産をいつも乗り切っていた。誰もいない他国での出産を2回も経験した私だからこそ他国での出産についてその大変さが分かっているからこそ、得るものが失うものに勝ったかもしれない。そして亡くなった母親の代わりが出来る事への喜び。遠いアメリカから頼られる嬉さ。亡くなった母親の、「弟を頼む」への約束が果せること。
結婚して初めて独りになれる。
自信感、見て感じて触って一人で経験する時間達、英語、建築、パッション、インテリアに接する時間が与えられる。
私が居ない間、夫や子供達が過ごす時間を考えると気が引ける。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。私はあまりに自分中心的ではないだろうか。夫や子供達にとっていい妻で、いい母親なのだろうか。夫や子供達に誇れる妻や母親になりたい。自分の人生に後悔はしたくない。ニューヨークへ行く。幸せだ。後悔しない人生の為に。帰って来ても後悔はしないだろう。

初めて東京に行く。
日本に住んで16年にもなるけど、東京は1度も行ったことがない。大学1年の冬、娘を、大学院の時、息子を生んだ。皆は学会やらで大阪、名古屋、東京に出掛けていたが、幼い子供を置いて留守は出来ない。私は広島を離れたことが無いのだ。その後、家族旅行で岐阜の白山郷から長崎鼻、鹿児島の桜島、大阪USJなど日本全国は旅行したものの日本の首都東京へは一度も行ったことが無かった。それが初めての東京が羽田から成田までの乗り換えの為だっただなんて、少しは東京見物が出来ないのが残念で堪らなかった。成田から飛行機に乗って9時間も過ぎ飛行機はアメリカ上空を飛んでた。
これからくり広げられる時間や期待感、日本においてきた家族への思いで胸がいっぱいになり涙が出た。これから2ヵ月間私がニューヨークで得るもの、その為に犠牲にしておいてきたものについて私が心で決めた。帰る飛行機で私が流す涙は無駄ではない時間を過ごして来た誇りの涙にしようと、私は真剣そのものだった。
広島空港から羽田に飛び、羽田からリムジンバスに乗り成田国際空港に着いた。そしてニューヨークJFK空港に着いた。成田から40分遅く飛び立ったものの予定時刻より1時間も早く着いた。やっぱりニューヨークは私を待ってはくれなかっだんだ。そんなに私の到着を急かしていたとは、そんなに一分でも早く私に会いたいのかニューヨークよ!お待たせしてすまん!
韓国の仁川空港を利用し続けた者にはその小さな規模にはすこし驚いた。大きくて立派できっと私をびっくりさせるだろうと思っていたからだ。
外に出た。私の名前を書いて待ってくれているはずの弟夫婦の姿が見えなかった。どうしたものかと周りをきょろきょろしたが、だって予定より1時間も早く着いたのですもの、まだ来ていなかった。しばらくすると入口から大きなお腹を押さえながら走ってくる何処かでよく見たような顔が入ってきた。弟夫婦だった。
韓国人コールタクシーを呼び弟の家まで行った。空港から見える形景色は仁川空港から家に帰る道とあまり変わらなく、全世界的に空港は似た景色なのかと思った。何故かというと羽田から成田までも広島県本郷インター広島空港に向かっていく道路となんら変わりがなく、リムジンバスで寝てた私が目を開けたときには、これは間違えてまだ本郷インターから広島空港に向かっているのではないかと感違いしてしまってほどだからだ。
しかし、それはニューヨークJFK空港でも変わりなく古ぼけた空港からは出たものの空港から市内に入る道路があまりにも仁川空港からソウルの実家までの道のりに似ていた。

2008年10月12日(日) 広島-成田12:10-13:30
2008年10月12日(日) JAL成田-ニューヨークJFK空港成田17:20発
2008年10月12日(日) ニューヨークJFK空港19:05着(現地時間)
所要時間12時間45分
ニューヨークは日本より-14時間である。

ニューヨークに着いた。
夜9時ごろアパートに着いた。アパートはマンハッタンにはあるが、市内ではなくアップウエストにあり、私が怖がっていた伝統的な怖いイメージと違い、平和でゆっくりとした時間が流れるような郊外だった。弟夫婦の家は4階立ての4階であり、22キロの赤ちゃんの布オムツやお産の為の物がいっぱい詰まったカバンを弟は運んだ。私は買ってきてほしいといわれたウォッシュレットを持ってついて上がった。また私の私用のカバンをへソンが見守り弟はもう一度下まで降りていた。
航空路線の日韓線では飛行機預けが20Kgまで、日米線では私が乗ったJALは32Kgまでだった。私はちょうど29,8Kgを飛行機預けにし、残り10Kgは飛行機の中までよいしょよいしょと持って乗った。もちろん飛行機まで行くにはやっぱりカバンから物が出っ張っており、出国入口でカバンに入っていたコートや本を取り出し、冬用のコートを被り、また本は手に持ち提げて出国手続きを済ました。あっぱれ!
弟夫婦は冷蔵庫に何もないからこれから買い物に出掛けるといって夜の10時私はアパートを出た。夜は街を歩けない、歩いては怖いというイメージしかなく、黒人とギャング、何か映画でよく見るようなニューヨークの夜を想像していたが、それとは違い、広々とした道路には両側いっぱい車が止まっていて、如何にも善良そうな顔つきの黒人何人かが携帯電話を片手に家路を急いで歩いていたり、買い物をし終えた若い白人女性が買い物袋を持って歩いていたり、犬の散歩を楽しむ女性がいたり、普通の日本や韓国の夜に見ているような風景だった。歩いて3分の所にもコンビニはあったものの、しかしコンビニといっても日本や韓国のような大手チェーン店ではなく小さなスーパーが24時間やっているだけのものだった。
その小さなスーパーを通り過ぎ15分ほど歩いたら、これこそよくテレビで見た風景が現れた。店先には数え切れないほどの果実が形のいいものから悪いものまで山ほど積み上げられてあった。店に入り買い物を済ましレジに向かった。
レジでは20代前半ぐらいの白人女性が摘み食いをしながら居た。レジ台は6つほどあり、結構大きなスーパーだった。レジは日本や韓国と違い座れるように自分らが持ってきて積み上げた段ボールがあり、自分らが座りながら仕事が出来るようだった。何と座って仕事が出来るなんて、素晴らしい。明日は弟夫婦に味噌汁でも作ってあげようとシメジを買った。
しかし、レジ機では値段が分からず、黒人の店長や他のレジ係りの黒人女性が値段を調べにいたが結局わからなかった。そうすると、白人のレジ係の女性は「多分○○ドルだと思う。」といった。すると店長も「それでいいじゃない」といいながら、いい加減な値段になってしまった。
まったく、どういう教育しているのだろう。しかし、これがアメリカでの生活で学ばなければならないことだった。あまりガミガミしないこと、かな。
また、考えがまとまったらいうこととしよう。しかし、私はこんないい加減さが好きだ。
2Kの100年も前に建ったようなアパートは急な傾斜階段でもちろんエレベータなんかなかった。入口には丈夫そうに見えるペンスがあり、一回鍵で開けるが、すぐまた玄関に鍵があった。その後4階までのぼり、自宅前もちろん上下の2箇所に鍵があった。ずいぶん前に立てられているので、消防法の前らしく玄関は内側に開くようになっていた。その為、廊下はドアの半分のスペースしかなく、狭かった。
今から夕食を作るというへソンはカレーを作ると言い出し果実ナイフでじゃか芋をむき始めた。これじゃ夕食の時間が午前様になりそうだったので、私が作ることにした。日本から持っていたシチューを手際よく作って出した。私はこの家に遊びに来てわけではない、あくまでもお手伝いなんだから。初日からあっぱれ!!!でも皿はへソンが洗った。
11時ぐらい就寝した。

一口メモ
JFK空港は摩天楼から東南に24kmほど離れた、キュンスにあり、摩天楼まで行く交通便は24時間運行している。約1時間掛かる。空港のグラウンド交通センターからGround Tranasportion Centerに行き交通便を予約すればよい。
1. バスを利用する。Pen Station、Port Authority,Grand Center Terminalに出発、到着する。片道$13、往復$23、朝6時から夜11時まで運行する。
2. タクシーを利用する。規定料金である。$35にトールゲート代まで含む。約10~20%のチップをつける事を忘れないこと。
3. シャトルバスを利用する。$14~19ぐらい。グラウンド交通センターで予約を入れること。
4. 列車を利用する。空港からバスで15分ほどで乗り換える、約1時間掛かる。

ニューヨーク2日目
しかし、どうしょう。始まった。時差ぼけ!
昨日11時ごろ就寝したものの目覚しがなり、ぱっと起き上がってしまった。寝ぼけていて、もう6時!!だと思い、寝ぼけのままシャワーを浴びて部屋に戻って時計を見たら3時半だった。なぜなんだろうと思って原因を探してみると、やっぱり飛行機の中で12時間を過ごしながら寝たり、起きたりの不規則だったことや、緊張かな、いや、やっぱり時差ボケでしょう。
しかし、広島では時計が鳴ってもぱっと起き上がる事は無く、布団の中でもじゃもじゃしていたのが何故か此処では緊張の為なのか、すぐ起き上がってしまった。3時からシャワーを浴びていたら、へソンがトイレの為起きた。「まだ起きる時間ではないですよ。無理でも寝てくださいね。」と言われたが、シャワーまで浴びてしまった以上寝ることはできなかった。

朝は皆で私が作った豚噌汁と昨日残ったシチューを食べた。美味しいそうに食べてくれたので有難う。へソンは「義理お兄さん(韓国では名前で親戚を呼ぶ習慣がなく、言い方がある。その中で夫の姉には(義理のお兄さん)と言うのである)、3時から起きてシャワーを浴びて、台所掃除して、居間の掃除までしてたでしょう。私、これが噂で聞いた嫁いびり、かと思いましたよ。」と言われたが、「時差ぼけで眠れなかったからだよ。」と謝った。私が嫁いびりをする人ならこんな遠いニューヨークまでお産の手伝いには来ないわよ。ヘソンをどれほど好きか、分かってほしい。
今日はコロンブスデーでお休みだった。昨日の夜、夫から預かった分厚いお祝い金を渡した。トラベルチェックになっており、銀行で替える必要があった。次の日、弟夫婦と銀行へ行った。ニューヨークには世界中の銀行や支店があるが、その中でも一番見近にあるのが、CHASE銀行である。10月13日月曜日はコロンブスデーで、彼がアメリカを始めて発見した人だそうだ。この日がアメリカをインドと思い込み上陸した日だそうで、アメリカでは祝日だったが、弟たちが使っているCHASE銀行だけは窓口業務をしており、トラベルチェックをすることにした。まずは弟が主人が渡した分を為替し、自分の通帳に入れた。窓口では一週間は掛かるといった。
まずはその場を離れてたものの、この21世紀にトラベルチェックくらいで一週間とは、と思い弟がすぐにでも、とクーレムを言いに行った。そうすると、「はい、分かった。すぐ処理してあげるわ。」とあっさり。弟曰く、この国の人はクーレムになれていて、言われたらやるけど、待っていられる人はほっとくとの話だった。
まあ、これは日本でも韓国でも一緒という気がした。役所に税金の還付申請をしないともらえない、年金もそうだ。児童手当など、すべてはもらう人本人の申請がなければ、役所から葉書で知らせが来るわけでもない。7年前だろうかH新幹線口H銀行で8時43分お金を下ろした。そうすると105円と手数料が引かれて出た。
しかし、ATMの周りに張ってあるすべての紙を読んで見ても、8時45分から5時まで通常で、その後手数料が引き落とされる、などとは書いてあったものの、8時45分前の引き落としについては書いてなかった。もちろん暇な私は新幹線口のMバーガー屋で9時になるのを待ち、銀行へ向かい、聞いて見た。そうすると、確かに書いてなかったことを認め店長が自分のポケットマネーから105円を出してくれたのだった。その後、ATMの時間外使用の規定について変っているかと何度かH銀行を訪ねたものの、それ限りだった。これは適切なクレーム処理といえるのだろうか。クレームを受ける、これは事業主にとって客からの最大の関心を受けていると、弊社に関心を持っている大事なお客なのに、そのまま。うるさいとも言える、無関心さ。
私には子供が二人いる。子供も喧嘩をしたりすると、「好きにしなさい。」とお終いする時もある。これは、相手を認めているのではなく、あなたに関心がありませんよ、いう放棄であり、愛ではない。本当の愛があればこそ、喧嘩が出来るのだ。
その後、私が使う分もトラベルチェックを済まし、すべて弟の通帳に入れて置くことにしたのだ。それで窓口は混んでいるので、ATMを使うことにした。日本や韓国と同じようにATMにカードを入れ、入金を押し、現金を入れた。そして、職員が通りがかったので、これでよろしいでしょうかと聞いた。
しかし、あちゃ!!!アメリカのATMは現金を封筒に入れて機械に入れる。そうすると、銀行の閉店後、封筒の金額を確かめた後本人の通帳に入れてくれるのだと説明を受け、私たちが使ったそのATMはすぐ中止となり、機械を開け、現金を取り出してもらう大騒ぎとなった。なぜ、私たち兄弟はやる前に人に聞かないだろうかと反省した。
時間もあり、へソンのカードの残高を調べた所、マイナスになっていた。弟はびっくりして、窓口にまた走っていた。アメリカでは通帳から現金を下ろす際、現金がなくても本人の信用度によってある程度お金が下ろせる。しかし、それは銀行が貸すのではなく、金も無いのに下ろしたと罰金が科せられその罰金は1ドルをマイナスされても、金額に関係なくいつも25ドルなので、これは困ったことになった。
しかし、銀行側は始めての人にはペナルティを与えないと、今回は25ドルの罰金は無いことになった。ああ、よかった。もしアメリカのATMで現金でも入金をしようと思っておられる方は、アメリカのATMは現金入金は出来ませんから。
しかし弟らは私が来るまで本当に貧乏していたんだなあと思い胸が痛くなった。

摩天楼でエンマ大王に会った。
銀行で用事を済まして、近くのハドソン川へ見物にいった。
その後、地下鉄を利用しブロドウエーに行くことにした。
銀行に寄った。
ハドソン川公園に行った。
ブロドウエーに行った。
都心の観光をする。
お昼はイタリア料理― スパケティ、 ピザを食べる。
夕食は豚汁を作った。
地下鉄の感じとバスに乗った時の感じが違った。

2日目 10月14日(火曜日)
7時、へソンの友人で大学で博士課程にいるヨさん、ヨ博士が聖書の勉強を教えに来た。
10時、博物館。
3時、韓人食堂でお昼。
メルシデパートでは外国人観光客に11%割引カードを作ってくれるので作った。
私が買っていたウォッシュトイレを設置する。
浄水器を設置する。

3日目 10月15日(水曜日)
午前3時に起きて、7時まで、3時間日記を書いた。
ヘソンがパンの朝ご飯を作ってくれた。
午前中は3人共勉強をする。3人の職業-年取った学生。
ヘソンは作曲、友達と一緒に作詞するそうだ。題名は「欲望という名前の電車」。学校の宿題で一ヶ月に一回発表があるが、今回はこれを読んで作曲が課題ですって。作曲家一人と作詞家一人が人チームとなり作詞、作曲をする。私にはその本の内容さえも理解できないのになあ。
弟は大学院の勉強, 毎日ニューズウイークを読んで論議するそうだ。私はぜんぜん分かりません。
12時にお昼を食べる。 昨日夕方に買っておいたサーモンの焼き物がおかずだ。 ヘソンが焼いた。
コンピューターのプリンターが故障した。1時間掛けて直した。
13時に外出した。
最初は私の英会話教室に登録した。家からは6ブロック離れている。約15分掛かる。
来週月曜日から朝8時から10時まで5週間勉強することにした。日本に帰ったら英語も教えようかな。弟とともに 911記念公園へ行った。ウォールストリートを見物。5時に弟の大学に移動して、弟の大学院の勉強が終わるまで学校の前のカフェで弟を待つことにした。

Cuny Baruch College
Hunter The City University of New York
New Jersey Motor Vehicle Commisson
Auto Driver License

大学前カフェーで弟(ホゾン)が終わるのを待って本一冊をすべて読んだ。
8時40分ホゾンが学校を終えて来た。へソンの学校であるBMI音楽会社に移動した。会社の近くのデパート地下でチキンとワイン、チーズ。おいしい夕飯を食べた。11時に家に帰った。

10月16日(木曜日)
昨日は午前3時就寝、朝9時起床。ようやく時差になれたようだ。
リンカーンセンター、 ジュリーアース大学など周辺観光。
UN本部観光
リンカーンセンター近くの Fiollo restaurant で pizzaとパスタをおいしく食べる。
ロックフェラーセンタータワーで夜景観光。夜9時30分から10時30分までいた。風が強い。
10時45分バスに乗って家に到着。

私が感じたニューヨークについて一言
ショッピングとチップについて
払い戻し交換の原則である。
物に異常が無く、ただ気に入らないだけでもすべての店が払い戻しや製品交換を簡単にしてくれる。領収書や箱を基本原則に持っていけば、普通交換は30日以内が原則だが、しかし店ごとに払い戻しや交換可能な日が少しずつ違うので必ず確認すること。領収証や包装ボックス商標は必ず保管しておく必要がある。ボックスを忘れてしまったとか、品物にきずのある時は全額払い戻しは不可能だが、品物に問題が起こった時は customer service コーナーに行くか、ない時はカウンターへ行ってよく話して領収証と商標などを見せればよい。また最低価格保障制度というのがあって、購入した時とまったく同じな品物を他の店でもっと安く売っていれば、その差額に補償金までもらえることができる。大部分の商店やインターネットモールで適用されるので、もっと安く売る商店の広告などを提示すれば良い。アメリカでの買い物は損しないでね。
税金
本当にしやすい間違いだ。ニューヨークでは商標に付いた価格が本当の価格ではない。その価格に必ず税金を計算して見ることを忘れないでね。後でぼったくられたのではないのかと気持ち悪くなることがある。ニューヨークは普通 8.625%の税金が付いて、ニュージャージーが税金が安いからニュージャージーでショッピングする人々もいる。弟夫婦もその一人だ。
配達に関して
とにかく、配達は絶対だめ!!!配達はお金を別に支払う。しかしその配達費が手強くて$100位かかる。買い物が多ければ友達と車を借りて一度にショッピングするのがもっと安く付くよ。

クーポンを利用すること
新聞の間に挟まっているチラシなど、新聞を見れば割引クーポンがたくさんあるので店やデパート、スーパーマーケットに行く際、このクーポンを切って持って来る人が多い。新聞の外にも商店の入口や電話帳などでも求めることができる。アメリカでは新聞を見なければ大損。

10月17日(金曜日)
午前中は家で食事をして英語学院にスピーチテストをしに行った。へソンが綺麗な服を貸してくれた。広島の田舎者からニューヨーカーになった気分。約 10分にわたったテストだった。レベルは1からレベル7まであった。一つのレベルは5週で終えるようになっている。私はその中でレベル2になった。 これじゃ日本に帰っても英語なんか教えられないよ~。
SOHOへいった。韓国の仁寺洞と似ている所だった。路頭でサングラスを買った。いよいよ私もニューヨーカーのようになるようだ。へソンは自分には何も買ってくれない彼が、路頭で品物を買うことは初めてだと言う。
へソンよ、君には高い店で良い品物を買ってあげようと今準備している期間だと思う。だったの10ドルで愛を試さないで。愛してるよ、へソン。
骨董品と雑貨店が多かった。お昼はコリアタウンでバイキングを思う存分食べた。
午後 6時 30分頃に合わせて教会へ行った。二週に一回、金曜日か土曜日は区域礼拜があると言った。私とおない年である女性世話役の方、7歳多いご主人が三枚肉を焼いてくださっておいしくよく食べて一緒に礼拜した。帰って来る時には家がニュージャージーにもかかわらず我が家まで送ってくださった。とても有難い。

楽しさを台無しにするニューヨークに関する誤解について
その1、思ったより服がきれいではない
変だ。ここは本当にデパートなのか。服がちょっと変でどうしてこんなにダサい服をいい加減に積んで置いたのかしら。テレビや映画のような綺麗な服はみんなどこで買ったのかしら。
一番の理由は私たちと服のコンセプトが違って、特に簡単なカジュアルが好きな人ならニューヨークでは合う服がないかも。二番目は観光客たちが行くショップから脱出しよう。メイシースデパートから脱してバニズニューヨークや裏通りやノリタなど、アメリカブランドから脱して若いデザイナーたちが運営する個人ショップに行って見よう。
地下鉄がとても汚くて死にそう。私はニューヨークの地下鉄について書き過ぎ?
ニューヨーク人々は地下鉄ではトイレにも行かないの?どうしてトイレが一つもないのよ。あのレールに積もったごみはすべて何か? あそこは猫ほどの鼠がいて無惨なのよ。ニューヨークの地下鉄はきれいではない。いや率直に言うと、ドロブタ鼠もたまに見られると言うが、100年前に建設された地下鉄が今もこんなに丈夫に通うことを見れば感激的だ。少し経てばニューヨーク地下鉄が利用しやすくて、体系的という事実を悟る。参考までに、ニューヨーク地下鉄の中にはトイレがない。
ハンサムな男はすべてゲイ?
其処の男ハンサムだよ、ここでどうして男と手繋いで歩いているの? 雰囲気変よ。友達ではないようでニューヨークの男はゲイが多いと言うけど、あの男もなんだかゲイみたいで、みなゲイに見えちゃう。
ニューヨークはゲイパレードがあり、ゲイ専門書店と新聞があるほど。彼らの生活が認められる所だ。それでたやすくゲイやレズビアンに出会うことができる。通りでキスしているゲイやレズビアンもあまり珍しくない。一月位すればゲイを判別し出すことができる。ニューヨークは男より女が多い都市で、彼らも自分らの稀少価値がわかっているので簡単に恋に落ちないし、結婚はしたがらない。もし男に出会いたければニューヨークはあきらめた方が良い。
一体ニューヨークのおしゃれな人はどこにいる?
何日も何日も観光地を歩き回ったが、一体ニューヨークのおしゃれな人たちはすべてどこにいる? 口うるさくて太っている人しかいないんじゃないのよ。SOHOにもなぜがピンと来ない人ばかり。観光客しかいないんじゃないの。と思いがちだが、観光地ばかり歩き回れば絶対ニューヨークのおしゃれな人たちに会うことができない。ちょっと遅い時間にSOHOやノリタのショップやグリニッジビリチやミッドタウンのバーへ行けば、若いニューヨーカーたちに会える。
これが世界最大の都市か?
ニューヨークとソウル、東京の何が違うのだろう。うるさく混雑していて汚なくて絶えず鳴らすサイレン音や信号違反する人々。通りに一杯になった人々。本当にソウルや東京とまったく同じみたいで心は楽だが、それでも世界最大の都市ニューヨークに対する失望が生ずる。それに天気まで似ていてみたらこれ世界最大の都市ニューヨークなの。
どうしてニューヨークなのに最新式ではないの。地下鉄はまたどうしてこんなに小汚ない。という風な不平不満はニューヨークが美しく見え始めればすべて理解することができるようになってしまう。なぜ私は、初めはソウルや東京とニューヨークを同じだと思ったのだろうか。怪しげな位にニューヨークとソウル、東京はとても違っていた。
ニューヨークは歴史を本当によく保存している。ランドマークで決まった建物は崩すことができないので修理する時も正面はそのまま置いて、裏だけ建てる。ハーレムでアップタウン、ミッドタウン、ダウンタウンからロオマンハッタンまでマンハッタンの中をあまねく通ってみると、彼らが歴史をどうやって守ってきたのか。どんな方法でその歴史を守ってきたのか。それでニューヨークが最高の都市となったことが分かった。長年の歴史を持ったと自負する韓国と日本がむしろ歴史を保存することができずに新しいことにとても耽溺するように思える。

10月18日(土曜日)
家で朝食を摂った。その後、ブロードウエーに移動した。11時ごろ、劇場の窓口で定価121.99ドルの切符を、80%割引された価格で買った!!!
その後、ニューヨーク市立美術館に移動した。美術館観覧し、12時50分1階で弟夫婦に会う事にした。妊婦にはハードスーケージュールだったようだ。一人でのんびりと美術館を観覧した。本当に此処に、この美術館に住みたい!!!開館から閉館時間まで居させてほしいかったが、後の予定があり、残念。しかしもう一度必ず来るからね。
1時だ、ミュージカルの公演時間は2時。急がなけばならない状況。朝を遅く食べたのでそれほどお腹が空かずにいた。しかし私たちは妊婦と一緒にいるという状況を忘れていたようだ。アメリカ伝統ファミリーレストランに入って行ったが、1時を越した時間と、本当に早く食べ物が出てくるかという心配が先立ってそのまま店を出る。へソンは高そうなレストランだから、このドケチ兄弟、お金惜しくてそうするの、と言いながら怒ったがそうではなかった。ご免ね。その後に劇場近くのスーパーマーケットでバナナと牛乳、クロワッサン、パンを買って食べた。まあ、こんな食事も良いじゃないか。
グレースと言うミュージカルを観た。ジョン・トラボルトとオリビア・ニュトーンジョン主演でハリウッド映画で作られたこともある。とても面白かった。 ミュージカル感想後コリアタウンに行って小尾骨など買い物して持って帰る。地下鉄を乗り換えるなどかなり多い時間を過ごした。
このミュージカルを観て感じたこと。
スーパーで働く人、道で屋台をする人、お店の店員など、このニューヨークの町で働く人すべて、私が見た人達は白人以外の人達だった。それがミュージカルを見に行くと、1、2階すべて満席のものの劇場では有色人種は指で数えるぐらいだった。町であふれる有色人種がここでは指で数えるぐらい。私はここで、これがアメリカの現実であることを思い知った。
160年前社会学者トックビル(A.de Tocqueville)はアメリカに対して次のような言葉を残した。
アメリカはすべてのものが休む間なしに動いて、すべての変化が発展を生み出す驚異的な地だ。こちらではどんな自然的な障害も人間の努力を屈服させることができないようだ。そして彼らが出来ないことは、まだ試していない事だろう。
確かにアメリカは多様性と独自性が融合された力があふれる所だ。しかし私はアメリカに対する幻想を持った事がない。私が過ごす約2ヶ月間は慣れては行くけれど、ここでの私は孤独で大変な試験の場所に立たされるだろう。家族を日本に置いての、誰から見ても可笑しな弟夫婦のお産の手伝いが理由でアメリカに来た。普通ありえない事だろう。周りは私に対して、ご立派とか、弟思いの良いお姉さんとか、しかし、ここでも周りのアメリカ人は話掛け親切にしてくれるが、いくら笑って騷いでも私の心はアメリカ社会と日本の社会で水から隔離された油みたいだ。私は何処へ行っても永遠な異邦人だ。
たったの数日、たったの観光ぐらいで道で出会った多くの人並みを観て、ミュージカルを観て、私が感じたアメリカは、階級不在の社会だという主張については、町で働く人とミュージカルを楽しむ人の割合から、なにが階級不在社会かと、思った。
アメリカが自由国家の良心という主張の虚は、ラピボ(W.Lafeber)の本を見ながら悟った。またアメリカ全域の貧民街、貴族教育、そして有色人種が一人もいないハーバードのクラブの肖像画などを見て、American dreamの現実に対しての思いも見た。232年ぶり初黒人大統領の誕生を間近にしているこの国。 アメリカはただ巨大な間違いであるだけだというフロイト(S. Freud)の叫びを思い浮かべざるを得なかった。
しかしこのような恥を見てアメリカの没落を占う事は軽率な行動とも言えるだろう。これから私が接する、アメリカの社会は変革の力が胎動する所だろう。進歩の荒い波はブロードウェーに足を入れた瞬間からひしと感じることができた。私はこのような挫折から来る悩みを自分の省察と進路模索の方向に切り替えよう。
私は韓国語を教えながら、韓国の大学で学生達を教えながら日本では韓国について、韓国では日本について、すべての分野が私の専門分野であるように浅くて偏狭な知識を積んで来たのかもしれない。これからは実際に専門分野を尋ねてその分野では誰にも立ち後れない第一人者になるために精進するのだ。
今までは日本や韓国に対して何を聞いて見ても分かる振りをしながら返事をした事があったし分かっていることのように錯覚をしていた。しかし今からは創意力をモットーにその分野のエキスパートになることができるように努力しながら暮さなくちゃいけないと思う。
自分と自分が携わった集団への還付を直視して批判的な、しかし建設的な姿勢に解決の妙策を尋ねなくちゃいけない時が来たのかも知れない。

今ブロドウエーで見られるミュージカルは?
オペラ座の怪人 The Phantom of the Opera
Majestic Theater 247 W.44 th St. (bet 7 th & 8 th Ave)
パリのオペラ座の地下深くに棲む怪人の若く美しい歌姫クリスティンへの悲恋物語。ある日眠りから目覚めたクリスティンは、怪人の素顔が見たくなり仮面を剥いてしまう。ブロドウエーいちのロングラン作品。
シカゴ Chicago Ambassador Theatre 219 W. 49 th St. (bet Brodway & 8 th Ave)
禁酒法が定められていた1920年代のシカゴが舞台。愛人殺しの罪を逃れたコーラスガール、ロキシーは悪徳弁護士と組み、スキャンダルで一躍有名になる。飽きやすいマスコミにその名を留めるため、同じく夫殺しで有名なベルマとも組むのが…。
ライオン・キング The Lion King Minskoff Theatre
200 W. 45 nd St. (bet Brodway & 8 th Ave)
無実の父親殺しの罪で王国を追われたライオン、シンバが新しい仲間と出会い、やがて勇敢なライオン・キングに成長するまでの物語。製作費約1,500万ドルをかけたディズニーのブロドウエー作品第2弾。
ママ・ミア!  Mamma Mia! Cadillac Winter Garden Theatre
1634 Broadway (bet 50 th & 51 st St)
 結婚直前に、母親ドナの昔の恋人3人を知るソフィー。結婚式に立ち会ってもらいたいと、招待状を送る。集まった父親候補たちは、事情を知ると全員が「自分こそが父親だ。」と言い出し大混乱に。アバの懐かしいヒット曲と共に物語が進行する。
ヘアースプレーHairspray Neil Simon Theatre 250 W. 52 nd St. (bet Brodway & 8 th Ave)
大きなヘアースタイルと大きな心を持つ、ちょっと太めのトレイシー。彼女の夢はテレビの人気ダンスコンテストでスポットライトを浴びることだ。ついに念願が叶いコンテストに参加するが、強力なライバルが出現する。1962年のボルチモアが舞台。
アベニューQ   Avenue Q   Golden Theatre 252 W.45 th St. (bet Brodway & 8 th Ave)
ニューヨークの架空の街、Q番街。人間とパペットが共に暮らすこの街は、住人が誰もが不満を抱えながら生きている。仕事、性、人種差別など人生の様々な問題を提起する大人向けのコメディ。出演は役者3人とパペット9体だけ。
ウィキッド  Wicked Gershwin Theatre 222 W. 51 st St. (bet Brodway & 8 th Ave)
物語は「オズの魔法使い」のラスト、西の魔女エルファバの死から始まる、エルファバの死に狂喜するオズの人々を前に、エルファバの親友グリンダが現れ、その知られざる過去を語り始める。「オズの魔法使い」のもう一つのストーリー。
モンディ・パイソンズ・スパマロット  Monty Python’s Spamalot
Shubert Theatre 225 W. 44 th St. (bet Brodway & 8 th Ave)
イギリスのパロディグループ、モンディ・パイソンによるコメディ。原作は1975年に公開された「モンディ・パイソン&ホーリー・グレイル」。ブリトン王アーサーとその家来たちの旅の道中を描く。全幕にわたって気持ちよく笑える作品。
ジャージー・ボーイズ  Jersey Boys
August Wilson Theatre 245 W. 52 nd St. (bet Brodway & 8 th Ave)
ブルーカラーと呼ばれる4人の少年たちが、差別や様々な困難を乗り越え成長し、アメリカ・ポップス界の頂点へと上り詰めるまでのストーリー。「君の瞳に恋してる」で有名なフランキーハリー&ザ・ファー・シーズンズの自伝的なミュージカル。
メリー・ポピンズ  Mary Poppins
New Amsterdam Theatre 214 W. 42 nd St. (bet Brodway & 8 th Ave) 原作はパメラ・L・トラバース。2007年トニー賞・舞台装置賞を受賞。ディズニーのブロドウエー進出第5弾ミュージカル。忙しい両親を持つ子供達の元に、ある日理想の乳母、メリー・ポビンズがやってくる。メリーは得意の魔法で子供を不思議な世界に誘い、大人たちをも幸せな気分にさせてくれる。
スプリング・アウェイクニング  Spring Awakening
Eugene O’Neill Theatre 230 W. 49 th St. (bet Brodway & 8 th Ave)
2007年トニー賞、8部門受賞(作品賞を含む)輝く傑作。19世紀後半のドイツ。メルキオールは性に対する無知から、恋人を妊娠させてしまう。彼女の母親は世間体を気にして堕胎医へ連れて行くが、手術は失敗し、死亡してしまう。オブ・ブロドウエーで好評を博し、ブロドウエーに進出した作品。
グリース Grease Brooks Atkinson Theater 256 W. 47 th St. (bet Brodway & 8 th Ave)
1972年~80年までロングランを続け、1978年にはジョン・トラボルタ(ダニー)とオリビア・ニュートンジョン(サンディー)で映画化され大ヒットを記録した元祖ロックンロールミュージカル。3度目のリバイバル公演。
リトル・マーメイド   The Little Mermaid
Lunt-Fontanne Theatre 205 W. 46 th St. (bet Brodway & 8 th Ave)
アンデルセンの名作童話を元にディズニーがアニメ化した作品がブロドウエーに。人間に恋した人魚姫の悲しい運命を描く。
ヤング・フランケンジュタイン  Young Frankenstein
Hiltion Theatre 213 W. 42 nd St. (bet 7 th & 8 th Ave)
メール・ブルックスとジーン・ワイルダーによる1974年の同名映画のブロドウエー化。医大講師のフランケンシュタインは曾祖父の遺言によりトランシルバニアの屋敷を受け継ぐことになった。そこで死体を蘇らせる実験をしたことを知る。
南太平洋South Pacific Vivian Beaumont Theatre 150 W. 65 th St. (bet 9 th & 10 th Ave)
第2次世界大戦下の南太平洋の島を舞台に、従軍看護婦と島に住むフランス人、海兵隊員と島の娘の恋をロマンチックに描いた名作ミュージカルのリバイバル。音楽と脚本(作詞)はロジャース&ハマースタインのゴールデンコンビ。1950年度トニー賞受賞作品。
ジプシー Gypsy St James Theatre 246 West 44 th St. (bet Broadway & 8 th Ave)
スティーブン・ソンダイム作詞、ジュール・スタイン作曲、ジェローム・ロビンズ演出の1959年初演作品のリバイバル。典型的なステージ・ママが、娘をスターにしようと脇役の男の子たちをスカウトして旅興行をする。大女優エセル・マーマンがジプシー・ローズ・リーの残酷な母親を演じ、生涯の当たり役となった傑作。
イン・ザ・ハイツ   In the Heights
Richard Rodgers Theatre 226 W. 46 th St. (bet Broadway & 8 th Ave)
オフブロドウエーから進出した話題作。ワシントン・ハイツに暮らすキューバ、プエルトルコ、ドミニカン・リパッブリック系住民の夢と希望の物語。サルサやレゲエ、ヒップポップとノリノリでセクシーなダンスナンバーが続々と登場する。
エクウス Equus    Broadhurst Theatre 235 W. 44 th St. (bet Broadway & 8 th Ave)
世界的な戯曲家ピーター・シュファーの代表作の一つ。6頭の馬の目を潰した少年と、精神科医を軸に親子、夫婦、子供への抑圧、宗教、性など現代社会が抱える問題を抉る。親子、夫婦関係、子供への映画「ハリー・ポッター」で有名になったダニエル・ラグクリフが主演社会に氾濫する問題作。(2009年2月8日まで)

なぜ、ブロドウエーのミュージカルを鑑賞するのか?
私は恵まれていることに日本に住んでいる。日本では劇団四季がブロドウエーのミュージカルを専用劇場で年中上演しているし、地方巡回公演もある。広島もその中の一つだ。しかし、アメリカ人はミュージカルと言う言葉の代わりに[オペラ]や[ショー]と言うように、必ずオケストラがあり、舞台では音楽に合わせて俳優と呼吸している。一緒になって総合芸術を完成させるのだ。しかし、劇団四季は徹底的なコスト削減の為、何処の劇場もテープレコーダから流れる空のオケストラに合わせて俳優らが口ぱくをしている。私はブロドウエーで「オペラ座の怪人」を「シカゴ」を観たが、今でもその素晴らしい音楽が耳元にある、その時の感銘でまた体が震える。俳優達の顔を浮かぶ。見た後は本当にすべてにおいて素晴らしいかったと、また100回は同じものを観たいと思った。しかし、その100回は同じものではないだろう。何故かと言うと生の音楽に合わせて、その日の体調をうまく調節しながらの、また別の、毎回素晴らしい、音楽と俳優の演技が総合芸術となすのだから。しかし、劇団四季ではただ素晴らしい舞台装置の中に顔が分からない、ただオウムのように、今日の体調なんかない俳優らがテープレコーダから流れる空のオケストラに合わせて口ぱくをしていた。不思議に終わってからはなんの感動も無く、こんな素晴らしい舞台装置を作っているのだから俳優らに、音楽にお金を掛ける余裕もなく商業主義に走っている、日本の商業主義にたた感銘を受けながら劇場を出たら先見たミュージカルではないカラミュージカルを見た後は何の感動も残らないのである。
なぜだろうか。日本には伝統芸術に能、神楽、狂言などがある。能師が、神楽の時や、狂言師が舞台にいる時は必ず日本の伝統楽器を持った方がいる。能師が、神楽の時や、狂言師は一人で舞台に上がらないし、テープレコーダから音楽を流さない。もし、テープレコーダから流れる能を、神楽を、狂言を誰が観るのだろうか。日本伝統芸術を侮辱していることだろう。もし、別の日本以外の国でテープレコーダから流れる能を、神楽を、狂言をするのであれば、もはやそれは日本の伝統芸術ではなく、日本の関係者は大変な怒りを覚えるのだろう。しかし、日本の商業主義は平気にブロドウエーのミュージカルを侮辱しているのに、日本人は誰一人気づいていない。
 
10月19日(日曜日)
8時30分教会へ行った。 到着は正確に9時 40分頃、日曜日なので地下鉄があまり来なかった。今日は長老様の86回目の誕生日を祝う行事があった。おいしいお昼バイキングを食べてセントラルパークの中にあるジョン・レノンの追慕碑がある所をいった。その後自然史博物館バスに乗って家に帰った。夕方は太刀魚煮つけとみそ汁、豆腐に卵を加えた送ることを真書食べた。弟達がとても好きだった。私も明日から始める英語授業に備えて英語勉強をした。

ニューヨークは物価高過ぎて。
食事してチップも出さなければならない。どうして服にもまた税金が付くの。スターバックスコーヒーも日本より高くて服の値段も高いようで、特にホテル費は高過ぎて…。
しかし、私が感じたのはホテルはもちろん果物、飲み物、皆、価格帯別で多様だ。服も同じだ。価格帯別で揃っているだけではなく、同じ服でも新製品のデザインは高い。しかし今すぐ買わなくてもよいのであれば、少し月が経てば、その服がまた50%セールされて、後にはもっと低い価格で買うことができるのである。もちろんその頃となれば、シーズンもほとんど過ぎてサイズも多様ではないが、75%割り安で安く買える。アメリカではすべての価格帯別で揃っていて安い物を選んで暮すことができる。
人々はとても太っていて…。
映画やTVに出るすらっとした人はすべてどこに行っているの。どうして私の回りの人って私位の同じ背高であまり大きくない。変なの。
しかし、それでもニューヨークはアメリカで、すらっとした人々が多い都市の中で一つだ。特にマンハッタンはアメリカ中で一番すらっとする人々が住む所だと思えば、公園やフィットネスセンター、ヨガセンターには体重調節する人々で一杯だ。
金持ちが住む所と良いデパートへ行くほど太っている人々を尋ねにくい。太っていることは自分の調節に失敗したと見なされるから高い地位に上がった人、いい暮らしとする人、成功した人は大部分スリムだ。また。ニューヨークはアメリカの中で外国人が一番多く住んでいる町なのでそれも理由のひとつにあげられるのだろう。

10月20日(月曜日)
5時に起きた。語学学校へ行くために少し予習と主人にE-MAILを送った。今この時間が私には一番良い時間だ。 一日中コンピューターの前に弟とヘソンが替わる替わりしながら座っている。私がわがままにコンピューターを使うことができる時間がこの時間。そして不思議なことに私はニューヨークへ来て真夜中より朝方が好きになってしまった。
こちらのアパートの部屋から遠くに100年前にでも作られたかのようなビルが見える。ここニューヨークは100年前の建物がずらりと並んでいる。韓国や日本では考えられないことだ。何かにつけてすぐに建て直しをするのだから。
もちろんそこには建物の構成、作り方の違い、韓国では第2次世界大戦、朝鮮戦争など、日本では地震、第2次世界大戦による爆撃などを受け、建物が残っていなかった経緯もあるが、それではなくても、皆新しい、今の人の体に合った建物を好む。その為建物を人間に合わす為建物を壊す。
しかし、ここでは、人間が建物に合わせて暮らすのだ。例えば地下鉄は100年前に作られたもの、駅構内や電車にリフオームが必要ではないかとも思う。韓国や日本だったらすぐ新しくするだろう。しかし、まだ使える物だ。古いものに慣れていれば良いものを、私たちはすぐ新しい物を欲しがってはいなかったのだろうか。でなければ大手ゼネコンによる税金の無駄使いの象徴?新幹線の車両が新しく変わる、すばらしい技術には違いない。しかし、古きよき物はアジアの貧しい国へと運ばれていく。使えるなら日本で使えばいい、貧しい国にいらない物のお裾分け。本当に貧しい隣人を助けたいなら新しい物をあげてほしいものだ。
現在韓国では10年たっただけでも鉄筋コンクリートのアパートの再建築を実施する。日本でも100年は建物に人が住まない。文化遺産だとか、政府の支援をもらわなければならないとか…。人々の糧食に建物を合わせる。だから再建築などで人が儲かる仕組みになっている。家は投資のために財産となるのだ。しかし、それもよしとしても、人は汗水流して働いてそして給料を手にすべきではないだろうか。お金がお金を生む、汗水流して働かず、株でたやすく稼ぐ。現在の株価暴落などの原因もここであるのではないだろうか。
こちらの地下鉄は 100年前に建てられた物を今も使う。しかしリフォームをしない。韓国では100年前の物で現在乗っている物はない。博物館へ行かないと見ることも出来ない。日本では新幹線のモデルが10年で変わる。使うことができる品物を取り替える。人々がその物に合わせて生活することもできるのに、大抵はそうしない。韓国は10年も建たない橋が崩れ、数年しか建たないデパートが崩れ落ちた。恥ずかしい。何のためにビルを橋を作ったのだろうか。
しかし考えて見よう。100年前の建物の中でまだ暮しながら100年前の乗り物、その発明品の地下鉄に乗ること。あまりロマンチックではないだろうか?100年前のニューヨークにタイムマシンに乗ってその当時の気分になるのだ。私は100年前に戻り長いドレスと素敵なレディーの帽子をかぶって馬車が通った通りを歩いているのだ。もう一度生まれ変わったような気がする。その100年前と変わらない通りを今100年後の私が歩いている。私は地下鉄の中に鼠が通っても、ごきぶりが出てきても構わない。この100年前建物がこの100年前通りたちがそのすべてのものなどを許してしまう。あまりにも素敵な町並みですもの。
ニューヨーカーやこちらの子供達は体が丈夫そうだ。何故かというと、ここのニューヨーカーたちはかなり肌寒い気候にもかかわらず半袖で通す。学校と地下鉄、建物の内はまだエアコンを入れる、10月ですけど、と言いたくなる。外は20度前後の本当に肌寒い気候だが…。それでヘソンと私がこちらニューヨーカーたちに付けたニックネームがゴジラ骨を持った人達だ。

初めに地下鉄に乗った時の事。
今まで私はさんざん100年前の乗り物や建物はすばらしいと言った、が 迎えが来て、三途の川を渡り閻魔大王を会いに行く時、こんな乗り物に乗っていくのだろうと思った。100年前に作ったトンネルの中にある地下鉄は狭くて匂いがして、そして鼠が走り回ってごきぶりがうごめき、あちこち捨てられたごみ。地下鉄は刑務所の鉄杖みたいな地下鉄入口を切符を入れて入って行く。そして韓国と日本では想像さえできないとても汚い地獄鉄が来る。やっと人が入ることができる入口が開かれれば人種博覧会みたいな各人種が出てくる。地下鉄には老若男女の各人種がいる。もちろん疲れた顔の人もいればいろんな人がいるのだ。その暗い地下道を地下鉄が暗い移動をするのだ。その中に私がいる。
その時、「そう、もしこれが誰も見たこと無いその迎えが来たとき、迎えと一緒に歩く三途の川まで行く道なのだ。」という考えが私の頭をよぎった。もし何時か私が閻魔大王様のお呼びて行く時、こんな乗り物に乗っていくんだろう。だって細く汚い薄暗い道を降りて行く、様々な人種の人々が乗っている、その中に私もいるのだ、そうだ。その時、この人生を頑張って全うし、その時が来るまで一日一日をもっと熱心に生きて行かなくちゃいけない…。だってここは綺麗に着飾った建前ではない、人間の奥に奥深く生きている本音がこの汚い地下鉄にあるのだ。そうだ、人間、外は綺麗にしているつもりでも、見えないその何かが本当の人間の修羅場ではないだろうか。その修羅場に顔を背けることなくここでは真正面から向き合っているのだ。
私はニューヨークのこんな地下鉄が好きだ。私の生に忠実になることができる時間を与えてくれる。本当の人間が見える。こんな地下鉄の中で乗っている人々を見ながら、人種デパートを見物しながら、いろんな人の生き様を見ながら、私の人生に対してもう一度感じることができる大事な機会を与えてもらう時間…。そうだ。 いつが私の人生において最後の日が来る時まで私は私の人生がホコラシイ人生になるように努力しなくちゃいけない。
7時30分語学学校へ行った。私が1番目に来た。学生は全部16人だ。女子学生、いやおばさんだけ6人、私、ペルー人40代、イスラエル30代、黒人30代、エクアドル20代、メキシコ30代と、そして男子学生はペルー、メキシコ、アフリカ、 レバノンなどから来た男子学生が10人だ。男子学生も20代後半から30代序盤だった。ここでもウーマンパワーを感じる。語学学校が終わると、学校の前で弟とヘソンが待っていた。一緒に学校の隣でとても有名だというブランチ店で一緒にブランチを食べた。食堂は満員だった。私たちも約 10分を待った後やっと席に座った。へソンが選んだブランチ2種類とコーヒー、オレンジジュースを一緒に食べた。おいしいかった。
食事後は弟が作ってくれた家の新しい鍵を受けとった後、私たちはハドソン川を散歩した。そして家に帰って来る途中に椅子と台所用電子レンジをおく棚を買った。こちらは配達費が高いので、弟が3段棚を、私が椅子を持って家に向かって歩いた。バスに乗せてもうおうと思ったがバス運転手に断られた。なら歩くしかしかたあるまい。こんなに荷物がある時は、ある時は乗せてくれる場合もあれば乗せてくれない時もあるそうだ。そして4階まで頑張って上った。台所がとても使いやすくなった。私達は整理後インターネットで韓国教会の牧師さんの説教を聞いた。全身火傷を負った22歳の女子大学生がその後立ち直り一緒懸命に生きていく話だった。日本にも手術に来たことがあり、韓国では彼女が書いた本が大ベストセラーとなっている。とてもいい話だった。
弟が学校へ行く時間が迫って学校へ行き、へソンと私だけ残った。弟が出掛け、へソンは自分の部屋でヘッドホーンをつけて作曲をした。ヘソンも午後 5時に学校である、BMI音楽会社に行かなければならないので4時頃ヘソンに焼肉どんぶりを作ってあげた。ぺろんとたいあげてくれた。
そして5時になってヘソンも学校へ行った。
私は一人で6時過ぎに夕飯を食べてシャワーを浴び学校の宿題をした。そしてとても疲れて9時頃に寝床に入った。だって、今日は5時に起きて学校へ行き、椅子を持って歩いて家まで帰り、4階まで歩いて上がり、整理、整頓。10時過ぎ弟夫婦が帰って来たがとても疲れて起きることができなくてそのまま就寝。

10月21日(火曜日)
6時に起きて復習と予習をしながら学校へ行く準備をしていたらヘソンが起きて来て「こんな早い時間から何をするんです?」と言われ「勉強して、ハーバード大学でも行こうかな」と、返事をした。二人は大笑い。へソンが少し後に陣痛みたいです、と言った。そして、学校の前で待つから学校が終わったら一緒に病院へ行こうと言った。今日は出てきてくれるのだろうか。
予定日が全部違っていた。10月15日、18日とも言って、20日とも言った。まあ、何日の差しかないけれど。とにかく計算方法が違うから。しかしいよいよ陣痛が来たようだ。

学校が終わると学校の下で弟とヘソンがが待っていた。私たちは病院に向かう地下鉄に乗った。弟夫婦はニューヨーク市中心部のマンハッタンのセントロルパーク上部にある、アップウエストに住んでいる。ここから市内まで30分位掛かる。病院はマンハッタンで1時間位離れているクイーンズと言う所にあった。弟夫婦は家の近くにその有名な宇多田ヒカルが通った(今彼女は学校を中退した)コロンビア大学の入口(約 2キロ位距離にある)にある病院にも通ったがその大学病院には東洋人医師がいなかった。アラブ系医者もいるが東洋人特有の黄疸(息子のデウンも生まれて黄疸にかかった。黄疸は東洋人特有の乳児病でそれほど大がかりなものではないが、産婦と胎児の血液型が違う場合現れるそうだ。重病ではないが持続的な状態観察などが必要となる。デウンは生まれてすぐ黄疸を病んだが退院時には直っていた。)か分からないので弟夫婦は韓国人医者を尋ね、マンハッタンで開業している産科医を捜し出したそうだ。ニューヨークで2代目産科医をする方でクイーンズに本院があった。 韓国人野球選手として今こちらで活躍する選手の奥さんもその病院で子供を生んだという事でさらに有名になった。
とにかくマンハッタン分院は分娩ができないことでクイーンズの本院に行った。マンハッタンで地下鉄を乗り換えていたらいよいよ始めて地下ではない地上に地下鉄が走った…。いよいよ地上だ。市外を見た!!! 市内から離れた所、しかし、だからといって韓国と別段違うことがなかった。 壁には屋上までどうやって上がったのか、落書きがしてあったりと。東京や大きい街並と変わらなかった。違うのはここではいろんな人がいることだけ。
クイーンズ地域は韓国タウンがすごく大きい。地下鉄から降りてバスを乗り換えて3個バス停を走った所で降りた。ここは、地下鉄の駅からバス停まで、町のすべてに韓国語が書かれている韓国の街そのものだった。韓国銀行, 観光で有名なパン屋さん、付け出しがいっぱい出る付け出し食べ放題の韓国料理店、テコンドー等々。本当にこちらでは英語が必要なくて、韓国語だけでも生活が可能な所だった。
病院に到着した。順番を待った。病院に到着したのは11時。先生の診療が終わって12時。今夜か、明日の明け方には子供が生まれると言われ、今度は赤ん坊を産む病院に移しなさいと言われた。おい、ここじゃないのかよ。
私たちは病院から歩いてまたバス停に移動をした。先生がご飯を食べて移動しなさいと言ったので、それで私たちはご飯を食べに韓国食堂に移動したのだ。弟はビビンパ、私は韓国みそ汁定食、へソンはテルスープを頼んだ。弟と私はきれいにたいらげたがヘソンはやっとご飯を少し食べておつゆだけ飲んだ。食堂の前に韓国パン屋さんがあった。パン屋でパンを買った。そして私たちはいよいよ病院に行くためにバス停に向けて歩き出した。
ところで小雨が降り始めた。へソンはコートの帽子をかぶった、私はマフラーを頭に、弟は雨の中、バス停を尋ねるために右往左往した。本当に、もう、タクシーに乗ったら良いのに…。私たちはとても哀れだった。少雨は降るわ、赤ちゃんは生まれそうだわ、ここは異国だわ、行き交う人並みの中でもみくちゃにされて…いた。こんな状態でヘソンは歯を食いしばり、退院する時には絶対タクシーに乗る!!!とぼやいた。あまりにもヘソンが偉大に見えた。有難う、貴方は立派な留学生の奥さんの役割を果しています、と私は心で涙した。
急いでいるのに、雨が降っているのに、傘もささずにいるのに、雨に打たれている妊婦がいるのに、弟がバス停を間違って雨に降られてまた私たちはバス停を移動した。病院まで10個の停留場、本当にタクシーに乗るには高い距離かな?本当にこの弟たちは徹底的に留学生をしていたのだ。
日本も同じだが、先進国に行くほど診療は分担になると言う。姙娠が分かって診療だけできる病院、そして診療と出産が可能な病院などで分けられる。へソンがマンハッタンで通った病院は診療だけできる病院なので、へソンが診察を受けた韓国人先生は子供を生むことができる病院へヘソン達を紹介し、もちろん自分の産院から近くて子供が産める体制や施設が備えてある病院だ。その病院にも産科医師はいるだろうけど、いままで診察をしてくれた先生が来てくれて赤ちゃんを産ませてもらえるシステムになっていた。へソンが入院した所はニューヨーク市立病院クイーンズ病院でとても大きい総合病院だった。
入院手続きを踏んだ。前の病院から連絡が入り、今妊婦が一人行きます、との連絡がすでに入っていたためすぐ入院することができた。私は控室で待ち、弟は一緒に入った。そして夕方11時15分。3.5キログラムの可愛い息子を産んだ。私たちはヘソンが病室に入って行くのを見て韓国人が運営しているコールタクシー「青い鳥」を呼んで家に帰って来た。
JFK空港から家までは約 50ドル、病院から家までは約31ドルだった。チップはもちろん別だ。ニューヨークは地下鉄とバスが24時間運行されている。しかし午後11時から午前5時まで地下鉄とバスの時間割りでは約 1時間に一台。そしてやっぱり危ない。酒に酔った人、タクシーを呼ぶことができなくて地下鉄を利用するしかない人々が乗る。弟は何回か夜11時以後の地下鉄を利用したことがあるがあまりにも恐ろしい経験をしたと言う。狭くて薄暗い地下鉄の中のひとつの車両には約2、3人が乗っている。黒人と弟の二人きり。いくら男と言っても恐ろしい経験だったと。その後弟は生命を減らす経験をやめて他の所で節約してタクシーに乗る事にしたと言う。本当に良い考えだ。大賛成!!!
夜12時30分過ぎに家に到着した。すぐ米を洗ってご飯を炊いた。そして明日持って行く韓国妊婦が飲むワカメのスープを作り始めた。多分明日朝から作り始めれば忙しいことだろう。そして弟は韓国の妻の実家と彼女の恩師など、必要な方々に電話をした。私は相変らず台所で支度で忙しくかった。
疲れていたがシャワーをした。一日中病院で待ちながら大まかに目を付けたりしたがやっぱり疲れていた。シャワーを浴びてすぐ横になった。眠気がさした。弟に12分後に出来るご飯を一回混ぜてほしいと頼んで寝床に入った。おやすみなさい。

10月 22日(水曜日)
夜明け6時、弟はヘソンの電話で目が覚めた。ヘソンから病院で必要なものを準備してほしいとの電話。弟は普段はいつも朝に必ずシャワーを浴びる子なのに心が急いでいたのか髪も溶かさないで寝癖のまま、病院で使う物を急いでカバンに詰めた。退院時に必要な物や、赤ん坊を連れて帰って来るのに必要なベビーシッド(此処では退院の際、ベビーシッドがないと赤ちゃんの退院は認められない)、ワカメのスープとご飯を持ってハアハアしながら1階におりた。
私は7時30分に学校へ行った。学校が終わりダンキンドーナツでも買って帰ろうとドーナツ屋に立ち寄ったがやめた。店にはあまりにも多くの人々が並んでいたし、英語が通じなかったらどうしょう、と、思ったのだ。ところで家に帰る途中、道を間違い、コロンビア大学まで行ってしまった。弟の家から語学学校までは7ブロック、まっすぐ行って左に曲がればすぐ語学学校だ。なのに、道を誤るなんて。楽しい。そのお陰でコロンビア大学が見えた。ちょうどいい散歩になった。しかし、ニューヨークで迷子になるところだった。

10月23日(木曜日)
昨日夕方、弟は家に帰って来なかった。昨日朝6時30分へソンから呼び出しを受けて病院に行ったきり、弟は病院で過ごす事があったようだ。

ここに来て感じたこと。
私の思い通りにしない事。そして強要してはいけないということだ。弟がもし電話もできず帰れない事情があるなら、そうだろう。相手に身になってやることの大事さを悟ることだ。
ここで弟夫婦を手伝ってやれることへの感謝の気持ちだ。必要とされる時、私は手を差し伸べてやることが出来たことへの感謝の気持ち。私を必要とする人がいる。夫婦の愛は二人が育むもの、子供は親が育てるもの。私はそばでいつも愛情を持って見守ってあげられる人にならなければならない。頼まれることをする我慢を学ぶ。頼まれないことをやってはならない、下手に綺麗にしたからと言って本当に喜ぶのだろうか。使い勝手が良いものにしているのかも。本当に綺麗にして喜ぶのは自己満足ではないだろうか。掃除やそれに限らず、ずべてにおいてでそうなのではないだろうか。私たち親世代は子供に口出しし過ぎているのではないだろうか。何もしない、自分を楽しむ、時間を楽しむ。
朝を食べ、7時35分学校へ行った。先生がいつもより早く来ている。先生はとてもよく授業をする方だ。授業時間は8時から休み時間なしに10時45分まで。一息も休まなくて授業を進行する。太っているヒスパニック系黒人男性の先生で、とても性格が良い。朝はいつもポップソングを聞きながらダンスを踊る。授業時間ともなれば大きな身を振りながらダンスをしながら学生たちを面白くしてくださる。
授業は正確に8時から始める。手始めの時には3人位しか来ないが授業を始めて10分位経過すると学生たちが一人、二人と来始める。学生たちに留学生はいなく、南米からの移民がほとんどで家で遊ぶ人は無く、すべてバイトをしている。本当に英語も私よりできないのにどこでバイトをしているやら、私に教えてくれたら一緒にバイトやりたいよ。
9時40分頃事務室で私宛に電話が来たといわれ、電話を換えてくれた。弟からだった。昨日は病院で寝たと言う。午前10時退院なのに午後6時退院に変えたと言う。自分たちの便宜を図ってのことだと喜んでいた。よかった。病院の近くの韓国スーパーで買い物しようと思うので必要なものを聞いてきた。私はキムチとヘソンが好きなおかずを買って来るように頼んだ。25セントを入れると公衆電話ができると言ったがアメリカの小銭には数字が書かれていなくてどれが25セントなのか分からない。弟よ、初めてのアメリカなのだ。また、右も左も分からない姉をよろしくね。便りのないのはよい便り。
帰って来る途中に今度こそタンキンドーナツに立ち寄った。インドおじさんがレジをしていた。彼が話す英語が分からない、アクセントが強い、とにかくミルクコーヒーとドーナツを2個買いたかったが彼が間違って砂糖入りとドーナツ3個を渡された。ドーナツ1個注文するのも一苦労、やっとの事だった。
今は家だ。午後1時半。これから掃除と子供が来る準備をしなければならない。それではまた。

こちらへ来て今日まで10日、いままで読んだ本。

ゴン・ジヨンさんの「楽しい私の家」
女流小説家が3回の離婚と苗字が違う2男1女を育てながら思うこの時代の新しい家族史を描いた作家の自伝的小説だ。作家自身も3回の離婚と苗字が違う3人の子供を育てている。この本、面白かった。この本で面白かったのは高校2年の娘が好きな書店の主人である、おじさんがママの恋人になる点、そして書店おじさんが娘に、君のママはパパがママと離婚をしたがママはパパと離婚をしなかったと言うところだ。これは書類上の離婚は成立しているが、心の整理になっていなかったことをよく敍述していると思う。

チョン・ビョンウック牧師の 「生命力」
この本は三一教会牧師様のエッセイだ。聖書のお話をとても面白く説いて書いてある。一日で全部読んだ。

ホン・チョンウック「そしてその後、私の人生の7幕7場、終わりの無い人生のために」
ホン・チョンウックさんは1970年生まれ。中学校3年生の時ケネディ大統領の母校であるチォウトロズマリホル高校で進学、1989年ハーバード大学入学、1995年スタンフォード大学法科大学院進学、法務博士。2002年12月ヘラルドメディア社長、コリアヘラルド、 キャンパスヘラルド、ジュニアヘラルドなどの社長。現在韓国国会議員。
この本とても面白かった。早期留学、そして親の葛藤などをうまく描いていて、ぜひお読みいただきたい。韓国大統領を目指している方だ。

2008年32回李箱文学賞作品集
この本は以上文学賞受賞集らしく読むことは読んだが何の言葉なのかよく分からない。韓国語の難しさが良く分かる一冊。

姜俊敏牧師作、「性格の中に盛られた祝福の法則」
これは牧師様が書いた。良い本だ。

そして私が見たDVD、とても面白かったこと!!!

LA VIE EN ROSE
エデ-トピアプの悲しいように美しい感動実話を映画化したもの。ラビアングローズ-バラ色人生。1925年10歳、フランスの道端歌手から20世紀最高の歌手となったエデ-トピアプの実話。あまりにも悲しくて感動的だ。そして女優があまりすばらしかった。

カピングベートーベン
天才を演奏した秘密の女人について作った映画。神さまはベートーベンの耳を遠くしたけれど彼女をプレゼントしたのだ。主人公エドヘリス。女主人公はダイエンクルーガー。
ベートーベンの耳が遠くなり始める時、ベートーベンの楽譜を描いたという一人の女人アンナホルツの話。この話もとても感動的で、とても面白い。

オンドドック-ディズニー作品
頭の可笑しくなったある科学者のハイテク実験室で事故が起こって、その事故によって薬品を被ったビーグル犬はスーパーマンとなってマントを着て市民たちを救い出すスーパーヒーロー子犬物語。子犬たちの演技がとてもお上手で良かった。やっぱりディズニーは面白い作品を作るようだ。とにかく子犬が10匹、猫が2匹出るが皆演技があまりにもお上手でびっくり。笑いながら面白く見られる。

ストレンジャーつけたフィクション
ある日朝、平凡に見える国税庁職員ヘラルド・クリックはどこかで聞こえる女性の声を始めに、その声どおり行動をするようになる。とうとうその声はヘラルドは死ぬと言う、衝撃的な事を聞いたヘラルドはその声を捜すようになる。そして会った悲劇女流作家とヘラルド、ヘラルドは自分を殺してはならないと頼むが10年以上この悲劇を書いて来たこの女流作家カレンは混乱されるのだが…これも面白い。さて、ヘラルドは死ぬでしょうか、それは映画を観てからのお楽しみ。
弟が午後6時に病院から退院すると言ったので、家で6時半頃にアパートの下で弟を待った。しかし6時半が過ぎても弟は来なかった。
弟の家には固定電話が仮設されていないので公衆電話を捜した。実に私たちは携帯電話にすごく慣れていて携帯電話がないとこんなに不便かと、おこがましいかもしれない。あまりにも日本では当たり前だったことがここでは皆一つ一つ解いて行かなければならない難しい問題となるのだ。今はその簡単だった日常生活が冒険になってしまったのだ。アパートを出るとなんとまん前に公衆電話があった。こんな近くにあったにも関わらず分からなかったなんて。
どころで次は公衆電話を利用して弟の携帯電話に電話をした。こちらで本当に面白くて不思議に感じたことは小銭に数字が書かれていないというのだ。

アメリカのお金
1セント(=a pennyと言ったりする)は銅の小銭で数字の代わりにもちろん英語で裏に「ONE SENT」と書かれていて、「UNITED STATES of AMERICA」とその前には人物像があって「IN GOD WE TRUST」私たちが信じる神さま、「LIBERTY」と自由と言う字が刻まれている。二番目に小さいコインだ。
そしてその次が5セント(=a nickel) でシルバーで三番目の大きさだ。裏に「FIVE SENT」と書かれていて、上方には「 E PLURIBUS UNUM」だとそして「UNITED STATES of AMERICA」、前は人物と「IN GOD WE TRUST」私たちが信じる神さま、「LIBERTY」自由と言う字が刻まれている。
その次は10セント(=a dime)で一番小さい。シルバーで「ONE DIME、 UNITED STATES of AMERICA」と前は人物と「IN GOD WE TRUST」私たちが信じる神さま、「LIBERTY」自由と言う字がある。
一番大きいのは25セント(=a quarter)とも読む。シルバーであり、「QUARTER DOLLAR、UNITED STATES of AMERICA」と前は人物と「IN GOD WE TRUST」 私たちが信じる神さま、「LIBERTY」自由とある。
なぜ数字で書いてないで、必ず英語で書いているのだろう。その理由は何だろう。例えば、韓国と日本は文盲率がほとんどないがアメリカは約3億の人口を誇るが彼らがすべて英語が上手とは言えず、読み書きが出来ない人が多くいる。移民を願う非英語圏の人にはここアメリカに住んでいるとしても英語はいつまでも巨大な解くことができない宿題のようだ。それなのにすべては英語である。本当に移民を受け入れるためだろうか、移民し難いと言わんばかりのためだろうか。
さて、25セントの他の名前はクオーター「Quarter」だ。$1の1/4と言う意味だ。小さなお金だが力は強い。一番役に立つ小銭だ。公衆電話をかけるの時、コインランドリ、自動販売機に大部分クオーターが使われる。だからクオーターは見え次第に集めておくのが便利だ。
では、公衆電話はどうやって使うのだろう。公衆電話は通りのあちこちにある。特別に捜しにくくない。公衆電話は大部分小銭や公衆電話カードを一緒に使うことができる。旅行の中でもホテルの部屋よりはロビーや通りの公衆電話を使うことが値段が安く済む。ホテルで使う場合にはサービス料金が付くからだ。
公衆電話を使う方法は二つがある。先に25セントを入れて(こちらは基本料金は25セントだ。) 0番を押すと交換員が出る、交換員に相手の電話番号と名前を教えれば、基本料金を言ってくれる。もちろんとても早いスピードの英語でだ。その料金を投入すると通話が可能になる。通話途中でもまた交換員が出て指定料金を投入しなさいと言えば小銭をまた入れなければならない。
二番目方法は、交換員を通じない方法なのに一応1番を押して掛けたい番号を押せば基本料金がいくらという録音されたすごく早い英語でメッセージが出る。そのメッセージに従い小銭を入れれば信号が相手に行く。長くなれば小銭を投入しなさいというメッセージが出る。固定電話に掛ける場合は25セントが基本料金、携帯電話でかけようとすれば基本料金が50セントだ。
こちらの貨幤は紙幤$1、時にはシングルとも言う。$5、$10、$20、$50、$100がある。小銭は上で言ったとおりだ。
国際電話をかける方法は日本や韓国の自国から買って来た前払い用の国際電話カードを使うのが便利で価格も安い。テレカを使わない場合は公衆電話で011-82(韓国国家番号)、011-82(日本国家番号)-地域番号(0番を抜くこと)電話番号の順番でかける。ホテルの客室では先に外線番号を押して011で始めるとよい。
アメリカで電話カードで買って電話をかける時には通りにある新聞販売台やデリー(コンビニ) などで購入することができる。公衆電話カードを買って1番を押した後、裏に書かれた1-800で始めるフリー「Toll Free」を押すと、もちろん英語で出る指示に従ってカード番号を押し、かけたい電話番号を押せばよい。
私はもちろん初公衆電話は、およそ10分以上の時間をむだ使いしてしまったのである。何故ならば交換の声があまりにも早くて英語を聞き分けることができなかったのだ。ずいぶん長い間右往左往しているうちにアパートの管理人がごみを捨てるために掃除していた。ラテン系のおばさんだ。私は、たどたどしい英語で4階に住んでいる韓国人留学生のお姉さんだが公衆電話をかけようとしてもうまくいかない、旨を言い、助けを求めた。彼女は「勿論」と言いながら私の小銭を受けとり電話をかけてくれた。
ようやく、弟と電話が繋がった。万歳三唱!!! 病院から出たがラッシュアワーにひっかかって7時頃に到着すると言った。私はその場で弟夫婦を待った。約30分位経って弟夫婦が「幸せの青い鳥」の商標の韓国系コールタクシーから下った。弟は赤ちゃんと一緒に、私はリュックサックを背負い、旅行用スーツケースを右手に、そして病院から持って来た荷物を左手によいしょよいしょと言いながら4階まで汗をだらだら流しながら上がった。
アメリカでは退院する時、赤んぼうを入れて行くとても丈夫なチャイルドシットがなければ退院させてくれない。とにかくここは何か複雑だ。弟はその重い赤ちゃん用のチャイルドシットに赤ちゃんを乗せたまま、生後30時間しか経たない赤んぼうを落とさないか心配で恐ろしい顔をして緊張でいっぱいの体で震えながら赤ちゃんを4階まで運んだ。

アメリカの医療制度について、

日本や韓国は国民保険や健康保険など、公的にカバーされる医療保険が存在し、所得に応じた保険料を払っていれば、医療に掛かった金額のうち何割かを本人が支払い、治療を受けられるが、ここでは、こうした医療保険制度は存在しないので、3億あるアメリカ人の中では、およそ3000万人が非保険者であると言われている。65歳以上、重度の障害者を対象にしたメディケアと低所得者のために設けられているメディケイドを除いて、会社の保険制度を利用する他は、個人で民間の保険会社に加入しなければならない。そのため民間の保険会社は様々なサービスを提供してはいるものの、低額の保険に入ったため、保険が使えない病院があったり、保険契約内容に応じ保険会社の許可がおりず、必要な医療を行なうことができなかったりするので、必ず保険の知識と内容をきちんと把握する必要がある。また公的にカバーされることがないので、健康管理には自分で主体性が求められる。
アメリカの医療保険制度の種類は民間は主に従来型(conventional)と管理医療型 (managed health care)がある。
その中で従来型はインデムニティー(Indemnity Plan)といわれ、Fee for Service Planと言われている。患者は自由に医者や病院を選び、医者側も大きな制限無しで、診療や医療行為を行うことが出来、それに応じ出来高払いで保険がカバーされる。保険加入者の負担額は、それぞれ免責額(年間約500~1000ドル)設定されその額までは個人で支払うことが出来る。それを超えた額を支払った場合、保険会社が超過額の一定割合(約80%)を支払い、残りは自己負担となる。また、年間の自己負担額も決まっており、それを超えると保険会社が100%負担となる。比較的、個人での負担額が大きいので、このプランに加入する人は少ないそうだ。
次は管理医療型の3つがある。
その一つ目はHealth Maintenance Organizations(HMO)だ。管理医療型の中で最初に出来た組織である。保険会社の持っているネットワークの中から主治医(PCP; Primary Care Physician)を選択する。通院ごとにCo-payという決められた料金(約10~30ドル)を支払うのみで、免責額はない。主治医を中心とした医療ネットワークによる構成になっており、例えば、神経、循環系など、主治医の専門でない部位の病気を主治医から紹介してもらわなくてはならない。紹介無く治療を受けた場合、緊急を除き、保険がまったくカバーされない弱点がある。自己負担額が比較的安いので、受けられる治療や薬の種類も制限される。また、保険会社自身の関与が大きすぎる、十分な治療が受けられないなどの批判もあるそうだ。
二つ目ははPreferred Provider Organizations(PPO)と呼ばれるもので、HMOと同様にネットワーク内の医療診断は比較的個人負担が少ない上、ネットワーク外の医師も選択できるのが特徴だ。最近利用率が高くなっている。ネットワーク内の医師にかかる場合のCo-payは、HMOの1回10~30ドルの患者負担に比べると少し、高めとなっているケースが多い。ネットワーク外の医師にかかる場合は、治療費が免責以内であればすべて自己負担となり、免責額を超えると治療費の何割かカバーされるシステムになっているので、事実上、ネットワーク内の医師に掛かるよりも自己負担が高くなる。
最後の3つ目だが、Point of Service(POS)と呼ばれるものだ。加入者が個々の病気に応じHMOとPPOのどちらかの方法を選択する事ができるハイブリット型の保険だ。主治医を選択することが奨励されているが、主治医無しでも、治療を受けることは可能だ。ネットワーク内の医師に掛かる場合でも、主治医の推薦がないとCo-payや免責額が少し高めになる。ネットワーク外の医師に掛かる場合はPPOと同様に免責額を超えると、治療費の何割かがカバーされるシステムになっている。
では、その他の保険では、歯科保険がある。歯科保険にも医療保険同様、HMO、やPPOのようなシステムがあり、どのシステムを選択するかによってカバーできる内容が変ってくる。保険が降りる金額は年間で制限があり、また、治療を開始する前には、歯の疾患(Pre-Existing Condition)の有無を確認する猶予期間(Waiting Period)があり、通常、半年から10ヶ月間待たなくてはならない。ただし、この猶予期間でもクリーニングや定期検診などカバーできることが多いようだ。通常治療の場合、ほとんどが保険適用となるが、歯列矯正や義歯は一部負担やオプションとなる場合が多い。
眼科はどうだろう。眼科保険は目の病気や怪我は通常の医療保険が有効となるが、その他の定期的検査や眼鏡、コンタクトレンズに関する費用はカバーされないので、免責を望む場合眼科保険に入る必要あり。
処方箋保険については、医師から処方される薬の費用をカバーする。医療負担に自動的に付いている場合が多い。薬局でカードを提示すると、保険適用後の低価額か、もしくは無料で薬を購入することが出来る。ただし、その薬局がその保険に加盟していいないと、個人で保険請求の手続きをしなくてはならないこともある。
では、次、労働災害保険についてだが、Workers`Compensationと呼ばれるアメリカの労働災害保険は、従業員の業務上の不慮の事故、災害、職務が原因の病気などを補償するもので、雇用主に対して加入と保険料の支払いが義務付けられる。基本的には州法に基づいているので、保険料や補償内容は州によって異なるし、業種によって保険内容や保険料は変るが、通常、保険料は雇用主が全額負担する。
最後に私がこの度、弟夫婦の出産で一番身近に感じた妊娠、出産時の保険についてだ。沢山の知人や友人はアメリカは保険が無く、特に出産の際には莫大なお金が掛かると聞いているが、弟夫婦は大丈夫か、と聞いてくる。その妊娠、出産時の保険についてだが、日本は出産は健康保険でカバーされないが、国民保険に加入していて、母子手帳を持っていれば、出産一時金として30~40万円もらえるので、それで出産費用はほぼカバーされるが、アメリカでの出産は、都市や病院によって変るものの、自然分娩で3~5千ドル(早く○を後ろに2個つけて計算してみてほしい)、無痛分娩では1万ドル以上となっており、帝王切開になると1万5千ドル以上の費用が掛かる。出産費用もカバーされる保険はあるのはあるが、妊娠が分かってからは加入が出来るものは少ないし、あったとしても非常に高い保険料を払わなければならない。出産を考えている方は、前もって保険に加入しておくことをお勧めする。
では、貧乏留学生である弟夫婦の場合は、低所得者のために設けられているメディケイドだ。ニューヨーク市保険局に書類審査、面接審査を受け、見事に合格!!!したそうだ。その保険が降りた夜、弟夫婦は二人肩を寄せ合いあまりにもうれしさで泣いたそうだ。妊婦はその保険が降りた時点から美形形成以外にすべての保険が無料で適用され、妊娠の際の検診から分娩、退院まですべて無料だった。病院では一人部屋だったのにも関わらず、一ドルたりとも払うことなく退院してきた。しかし、妊婦の保険は子供を生んだ月で、切れるものの、私の弟は、アメリカ市民となった子供を育てるため、といって妊婦のもう一年無料健康保険を申請している。
では、アメリカ生まれの甥は、18歳まで美形整形以外にすべての医療を受けることが出来、もちろん1ドル足りとも保険料を払うことなく、アメリカで進学の際でも、無料で教育を受けることが出来る。大学の進学の際も留学生が1年か1千万払う授業料もアメリカ市民はその3/1の授業料で済むそうだ。
 その後、子供の成長に合わせて、オムツ、ミルクが与えられるので、買う必要は無いそうで、オムツ代とミルク代が掛からずよかった。その為の申請もすましており、来週の木曜日(10月30日)、赤ん坊の顔だけ見せてくれと言われ、事務局に行く。
7時頃帰って来た弟夫婦は疲れていた。子供を生みに火曜日の朝病院へ出発した時間が10時。そして病院に11時到着、お昼を食べて、また赤んぼうを生むことができる病院に雨が降る中、雨に降られて徒歩とバスで移動。病院に到着。 しかし大きい総合病院である関係で「ここに行きなさい、あそこに行きなさい」等々。散々病院内で移動を繰り返えした。そして病院から陣痛が来て夕方11時頃3700グラムの元気な息子を出産。弟と私が家に帰った後、一息をつく暇も無く夜明け3時に看護婦から赤ん坊に母乳を与えなさいと言われ、折角の睡眠中起こされてしまったせいでヘソンは一睡も寝る事ができなかったそうだ。  
そして6時弟に電話をかけて必要な品物を持って来なさいと頼み、弟病院に到着。へソンの友達や教会の方々の訪問等々。本当にびっくりするほどに忙しい入院生活だったそうだ。初日は南米人と一緒の部屋を使ったが鼻もすごくかいて、またその南米人妊婦はこのニューヨークに多くの親戚が住んでおり、病室は皆その南米人の親戚らで囲まれ、騒がれ、あまりにも疲れる一日だっただようだ。運良く韓国人看護婦に会って事情を説明すると、とても良い一人部屋に替えてくれた。そしてひと晩を弟はヘソンと一緒に病院で過ごした。
翌日10時に退院だったか、病院の他の看護婦から「もうひと晩いなさい。」と言われ、出来ることならと思ったそうだ。ところですぐ担当医者が来て、「この病院はすごく高い病院だが、もう一晩で韓国のウォンで500万ウォンだ。」といわれあまりにびっくりしてまさにそのまま退院することに。どこで英語を聞き間違いしたやら。やれやれ。
朝に退院しても、その日の夕方に退院しても無料だと言われ、それで夕方に退院する事にしたそうだ。それで病院で コールタクシーを呼び、夕方6時半出発したのが、家に到着したのが7時20分頃だった訳だ。  
居間にあった赤ん坊のベッドを自分達の部屋に移した。そう、今日から赤ちゃんと新米ママ、パパは苦労とともに幸せが始まるのね…。それでは今晩から眠れず、頑張ってね、と言い、私は寝床に入った。

10月 24日(金曜日)
私が病院へ持たした、牛肉入りワカメのスープの代りに貝を入れた淡泊なワカメのスープがほしいと、ヘソンから言われ、貝を入れたワカメのスープを作った。 朝7時へソンがワカメのスープを食べるところを見てから学校へ行った。10時少し過ぎて家に到着し、弟夫婦に食事の支度。弟はこれから赤ちゃんの出生届、市民権の申請、健康保険や補助金の申請などをするためコロンビア大学の入口にある総合病院へ行った。その病院の中にはニューヨーク市保健局の事務所あったのだ。そしてヘソンのビタミンを処方してもらうためマンハッタンの産婦人科へ行って、韓国タウンでキムチとおかずをいっぱい買って、そして子供のために加湿器まで買って7時過ぎに家に帰って来た。今日はビタミンが100ドルもするのに、無料でもらって気持ちが良いと言いながら加湿器を買って来たのだ。 彼らに夕飯を出した。

10月25日(土曜日)初めて雨
ニューヨークへ来て初めて天気が薄暗かった。10時に一人で世界 3大博物館のひとつのメトロポリタン博物館に行くために出た。地下鉄とバスを乗り換えなければならなかったが、地下鉄路線図をまだはっきりと覚えていなくてバスを 2番(回)乗り換えて一人でメトロポリタン美術館に行った。
METROPOLITAN Museum of Art    100 5 th Ave. (at 82 nd St.)
212-535-7710   9;30 am-5;30pm(Tue-Thu, Sun)   9;30 am-9;00 pm(Fri, Sun)

アメリカ最大の美術館。330万点を超える莫大な所蔵品がある。幅広い地域とジャンルがひときわ目を張るところ。有名な美術品、歴史的な遺物など多岐にわたるところだ。鑑賞のポイントとして、コレクションが増加すると増築を繰り返し、建物は巨大となり、ひとつのセクションでも別のところでは美術館としての役割を存分に果すぐらいの大きな規模が売り物だ。展示ギャラリーは主に1階、2階に集中しており、目的に合わせて何を先に見るかがポイントだ。その中でも20世紀美術は複数階に展示しているのでフロアを変えてルートを設定したほうがいいでしょう。すべてのセクションを見ようとすると一日だけでは不足なので主要作品を鑑賞するほうがよい。
私は今回は2回目なので入場料ではなく、寄付で入ることにした。ここアメリカは寄付が文化の国だ。もちろん入口には正規の値段しか書いていないし、すべての美術館や博物館で適用されるのはワシントンDCのみで、ニューヨークでは博物館によって違うので、入口で必ず確認すること。「ドネイション(寄付)」については観光客は分からないし、どんな案内板にも書いてない。私は弟から教えてもらった「ドネイション(寄付)」と切符売り場で「寄付で入りたい」といった。そうすると、「いくらですか」といわれ、もちろん「1ドルで」と入場料20ドルを1ドルに負けてもらったのだ。
しかし、今回、私は1ドルで入ったが、次回は100ドルで入ると心で決めた。今私は貧乏旅行中、この私に世界の名画を20ドルのところ、1ドルで、いや1セントでも見せてくれる、こんなありがたいことは無い、日本や韓国だったら絶対ありえないことだ。しかし、考えてみよう。名画を見たい貧乏画家志望生がいる。いまは勉強のみの毎日。こんな彼らを救えるのはこんな制度ではないだろうか。金が無いやつは帰れ、ではなく、今は1ドルで、でも次回この美術館を訪ねたときは私は誇らしく、「前回、貧乏な私を救ってくれたのは、こちらに掲げてあったすばらしい絵でした。今回は100ドルで入らせていただきます。」とその気持ちだ。
こちらにあるすべての美術館、博物館は決められた金額以外すべて寄付で入ることが出来るのだ。ありがとうニューヨーク!!!毎週ニューヨークの博物館、美術館に出かけられる!美術館よ、博物館よ、待ってておくれ、毎週行くね。
では、1日でも見ることが出来ない巨大美術館をどう鑑賞したかだ。一回目は弟、予定日が過ぎたヘソンと一緒だったので、ざっと2時間ぐらいで終えてしまった。残念。
しかし、今日は一人、私は1ドルで入り、案内で7ドルで日本語オーディオガイドを借りた。

First Floor
Arts of Africa, Oceania, and the Americas ? Modern Art ? Greek and Roman Art ? European Sculpture and Decorative Arts ? The Robert Lehman Collection ? European Sculpture and Decorative Arts ? Medieval Art ? Arms and Armor ? Egyptian Art
Second Floor
Islamic Art-Ancient Near Eastern Art ? Cypriot Art ? Modern Art ? Nineteenth-Century European Paintings and Sculpture ? European Paintings ? The American Wing ? Korea Art, Japanese Art ? Chinese Art

急ぎ足で歩きながら主要セクションを鑑賞した。先に1階のエジプト美術を見ながら神殿に行く。ここでアメリカ館(アメリカウイング)に行って1階リットルハウスの居間を見た後、2階のアメリカ絵画を鑑賞する。2階の廊下を通ってヨーロッパ絵画に行けば名作が集まっているのでここでは時間がかかってもゆっくり見た。その次にオリエント美術を見てアンプレッショニストとゴッホなどが充実の19世紀ヨーロッパ絵画に移動した。引き続き20世紀モダンアートホールを見て1階に下りて少し内側にあるロバートレイモンコレクションに立ち寄ってから最後にギリシア。ローマ美術ギャラリーを見回った。時間があったらミュージアムショップとカフェテリアもある。とにかく4時間の間、あまりにも良い絵をたくさん見てとても幸せな気持ちになった。博物館の外に出たら雨が降っていたが、そんなには降っていなかったので、ジャンパーの帽子をかぶって雨に濡れまいとバス停に行った。2回バスを乗り換えて家に帰って来た。

10月25日(日曜日)晴れ
昨日の天気が嘘のように今日は晴れてきた。へソンが「二人で教会へ行ってきなさい」と言ったので、外の風も当たり、散歩を兼ねて教会に行くことにした。教会は地下鉄を2回乗り換えてマンハッタンから離れた郊外にある。ニューヨークタイムズ新聞社の前で地下鉄を乗り換えるために外へ出た。通りには屋台の商人たちが品物を通りに出して売り始めていた。もうこんな早い時間から露天商たちが商売をしていた。韓国と同じで、にせ物かばんから挿し絵、季節によっては手袋、マフラーなど、韓国の露天商たちと違う点といえばこれらの商人は黒人、白人、中国人、南米人などのすべての国人々がいるという点だけだ。
私たちは5ドルと言いながら売る小さなポスターを発見した。[これプレゼントをするのに、私は大好き。] 5個買うともう1個付けてくれて、5個分を買った。教会に到着した。こちらは朝とお昼を兼ねたブレックファストランチであるブランチを食べる、その時、よく食べるパンを「bagel」だと言うとても硬いパンを食べる。教会では朝のコミュニケーションでそのパンとゆで卵、牛乳、オレンジジュース、コーヒーを食べることをしている。それを朝ご飯として食べた。今日のお昼は教会に信者の息子さんの1歳の誕生日でご馳走が出た。私は神様から愛される人に違いない、ここの教会に来て2回目、すべてご馳走が出ているのだ。来週も来ようかな。来週もご馳走を食べられるようにしてください、アーメン。
礼拜が終わって今度はお昼をくださる。先週には信者のお婆様の76回誕生日なのでご馳走を振舞われた。先週も今週も韓国式バイキングを食べた。私はどこに行っても食べる運が訪れるのた…。へソンが退院してからは毎日が韓国式産母の為のワカメスープばかりだったので、珍しいものが食べられてうれしいかった。今日からは私たちは他のメニューで食事をしなければならないと思った。初めには面倒で一緒にワカメのスープで食べようと思ったが、へソンが 「私一人、食べるとワカメが足りないです。お姉さんとお兄さん(韓国では自分の旦那をお兄さんと呼ぶ習慣がある)は他のお吸物で召し上がってください」と言われたので、少しはむっと来た。何故かと言うと、韓国からうちの父や弟が国際宅配便で買った値段より高い航空運賃を払ってワカメを2箱送ってくれていたし、自分の友人のやでワカメは今後、1年を毎日食べても充分なくらいあった。
しかし、よく考えて見ても、私たちもやっぱりワカメのスープだけ食べるなんて、飽きてくるだろうし、そして私は私が子供を生んでもワカメのスープを一日に6回も食べなかったが、へソンは一日に6回もワカメのスープをあまりよく食べる。やはり私の料理がお上手だか?また、とにかくお姉さんがいるのに他のお吸物でも作って一緒に食べなくちゃいけないのだ。
教会が終わり、お昼を食べて午後1時半、教会で運行するワゴン車に乗って、同じ方向の信者の方たちと一緒に家に帰って来た。約5時間留守なわけだったが家に帰るとヘソンが部屋で泣いていた。私は弟夫婦に時間を与えるためにこっそり家をすり抜けて来てセントロルパークに行った。
ニューヨークへ来て2週が経った。私は初世界旅行の手始めを日本で始めた。 そして二番目訪問国であるアメリカ。しかしニューヨークはアメリカではない。こちらは世界と会う所だ。こちらでは通りで過ぎる人が10人とするならば彼らは皆、他の国から来た人だ。マンハッタンのど真ん中のロックフェラーセンター前で会う数多い人々、マンハッタンを歩きながら擦れる数多い人々は皆他の国人々だなのだ。彼らは英語以外の言語で会話をしながら歩く。
しかし、街で、地下鉄で、バスで、英語以外の言葉が聞こえても日本や韓国では不思議そうに自分たちの言語以外の言葉を聞いたら振り向くがここではたれも振り向かない。風のように、酸素のように英語以外の言葉を感じているのだ、私たちは空気を吸いながら、「私、いま、空気を吸いました」と言わないと同じように、ここでは英語以外の言葉が、自分と違う人種の人が、空気のような、風のような存在であるのだ。
私の耳では英語以外の言語が聞こえているのだ。彼らを眺めながら私は他の国の人の話を聞く。彼らに学ぶ。何を?偏見から脱する方法を学ぶのだ。そして初めて私が生まれた国、韓国に対して、そして私が住んでいる国、日本に対して思った。思ったよりよく私の二つの国に対して、そして思った。ある時は私が韓国人で日本に住むことが、そしてこの人達にそれを理解させることが、そして彼らが韓国が分からない時、そして日本が分かる時に、私はあまりにも切なくて、またある時は誇らしくて、そしてありがたい私の二つ国々に対し。 感謝する。

ニューヨークはまるでアラビアンナイトのようだ。
ここは、このストリート、あのエビニューを通れば全然違った世界が出る。エビニューごとに、ストリートごとに雰囲気が変わるのだ。弟の家から学校までの6ブロックを行く、永遠に一つ道ではなく、まがり角を変える度に通りの風景が変わるのだ。私は毎日別の角を捜し回って学校まで冒険をするのだ。このまがり角を回ればどんな通りの風景が広げられるかと胸がどきどきして来るのだ。
私は昨年3月伊勢神宮を家族で旅行した。旅行の土産を友人に渡すと、「神道ですか。」と、「あなたは韓国人でありながら天皇を信じておられるのですか」と詰め寄られたことがある。ちなみに私の宗教はカトリックで韓国に居た20歳の時は修道女になるため、1年間修道院にいた事もあり、今、私は宗教を改宗していない。

聖書ではこんな話がある。
聖書にダニエルが出る。イスラエル民がバビロンに捕虜となって連れて行かれてしまったのだ。しかし 理論家たちはこう言う。「イスラエルで争って死を選べら英雄になれたのに、どうして捕虜になって連れて行かれたのか」と。この世では頑張って争って死ぬ人だけが正しいか。ではなければ捕虜になって連れて行かれても生きていくのが正しいことなのか。
しかし私はこう思う。こんな問い自体が誤った接近なのではないだろうか。私は死ななければならない使命のある人もいれば、とにかく生き延びていかなければならない行き方もあると思う。私たちは他人の行き方の使命をさて置き、他人に生き方を計算せず、自分の使命に忠実に生きて行ってほしい。ダニエルの使命は生き残ることだった。彼は生きて連れて行かれた。ところでバビロンが彼らをバビロンに同化させるために三種類の融和政策を使った。
その一つはバビロンのすべての学問を学ぶこと、二番目は名前を変えることを指示した。韓国であれは1900年代初めの日本から侵略された時代に韓国名を日本の名前に創氏改名をすることに当たるだろう。第三は、不正な食べ物であるバビロン宮廷の食べ物を食べる事を命じた。
ところで、ダニエルと彼の三人の友達はこの中の前の二つを受け入れたが、最後の一つは拒否したのである。よく考えて見よう。

第一、バビロンのすべての学問を学びなさいと言ったが、バビロンの学問は何だったのか。手品、魔術、呪文術、占星術などだ。一言で言えば学問ではない。ダニエルがそれを学んだのか、拒否したのか。そのまま学んだ。そんな学問も学ぶことができる。
例えばキリスト信じる人は進化論を信じてはいけないが学ぶことはしなければならないと思う。進化論では進化の証拠で「相同器官」、「相似器官」などをあげるが、模様がお互いに少し似ているからと、進化論が正しいと言うのである。しかし進化論を信じない人々にはおこがましい。全然人というものをわかっていないと思うのである。
ソウル大学言語教育院で韓国語教師となるべく勉強したときに、先生がこんな話をしてくれた。エレベストには世界各国のごみがある。ある時期地球が分裂されて100年後また発見されたとしよう。あの時にエレベストから出たごみを見て人類はエレベストで始まった、人類はいろんな言葉で一箇所に集まってくらしていた、と言えるのだろうかという話だった。世界には5,000の言語が存在している。もちろんその中には文字を持たない言葉もある。しかし、それらにすべて理論を用いての説明が出来るのだろうか。語学学校でスペイン語と韓国語は似ていると、スペイン人の学生と楽しく韓国語とスペイン語の同じ発音を探して遊んだ事もある。昔は世界は一つの大陸で繋がっていたためだとか。
それで、100年後発見された地球を見て、ここに全世界の言語がある、書かれたごみの文がその証拠だ、と言ったら本当に笑わずにはいられない。進化論などは覚えてしまえば良いものだ。それがどうしてできないか。この世の中で生きて行くとき、世の中が変な話をするからと言って耳を塞いではいけないのだ。その変な話もなぜするのか、分かっていなければならないのだ。私たちは聖職者のような生き方ではなく、一日中コメディーも見て、バラエティーも見て、ドラマも見なければならないのだ。人々がどうしてそんな幼稚なことに気が抜けて感銘を受けて心が搖れるのか分からなければならないからだ。奥深い話だけ聞かなければならないのではない。いろんな種類の本を歯を食いしばってしきりに読まなければならないのだ。私は娘や息子のコミックや単行本、彼らが見ているテレビドラマやアニメーションをわざと読んで、見ている。私の趣味ではないのだ。けれどもこんな話にならない話に人々がどうして吸い込まれるかどうかを分からなければならないのだ。その中には現代の意識を反映していることがあるからだ。
第二にダニエルは創氏改名をした。儒教的考え方を持った人なら「名前を変えるならいっそ死んでやる。」と言える。しかしダニエルは名前を変えたのだ。ダニエルはベルドササルだと改名した。この名前は異邦神イルミグァから持って来た。
しかし、名前を変えるからといってどうなるのだろう。名前を変えるからといってその人の人生が変わるのではない。死を選ぶ人もそれなりの使命があったかもしれないが、名前を変えても生きて行くこともまたその人の使命なのかもしれない。
私たち家族は日本で永住している。時々日本式名前(通名)が無く、不便だと思い、家族4人で会議をした。小学校高学年だった娘はなぜいまさら日本式名前が必要なのかと。今まで通して来た名前で充分だと。日本式名前だろうが韓国式名前だろうが自分は変わりがないからどう呼ばれようが関係ないと。さすが、私の子だなど感心したのである。そうだ。名前はただの呼び名、どう呼ばれようが当の本人、その人が変る事はないのだ。
身近な例で嫁ぐ娘は名前は変わるものの、お産やらなにかで実家を頼りにする、結婚して戸籍から離れ、まったく名前も戸籍も他人になったはずなのにそうではないとは思えないだろうか。もちろん実家のご両親も嫁がせたつもりだが、名前が変り旦那さんの実家で頑張る娘を相変わらずの愛で見守っているのだ。両親の愛は変らない。

しかし、ここで重要なのはダニエルと三人の友達は三番目の要求条件を拒否したのである。偶像に捧げた宮廷の食べ物だけは食べることができないといったのである。例えば宗教上の理由で豚肉を食べれなかったりする場合がここで理解しやすい例えだろう。自分が絶対譲れないことである。
 私たちはこの世を生きてかなりを受け入れることができる。しかし一番根源的な信仰の核心だけは逃すことができないと宣言しながら暮さなければならない。その核心を守るために相手を説得して話し合いながら生きて行くのが信者たるものだ。それとともに生き残らなければならない。
皆さんはガリレオガリレイを知っておられるだろうか。当時、天動説(地球の周りを太陽や月が回っている説)が主だった。しかし、彼は研究を重ね、地球が太陽や月の周りを回っている地動説を発表した。もちろん当時では受け入れられず、彼は裁判により、死刑を下された。しかし、彼は最後の弁論で天動説が正しいというなら、命だけは助けよう、と言われて天動説をあっさり認めた。しかし彼は裁判所を出ながら小さな声で呟いた。「それでも地球は回っている。」その後、彼は多くの弟子や研究論文を完成し、発表した。彼はもっと多くのことをこの世に残してくれたのだ。
今まで長年日本に住みながら、もちろん日本と韓国の違いについては私なりにああこうかな、というのがあったし、いろんな論文や本からその違いのルートみたいなのは大抵の大まかな事はわかっていたが、伊勢神宮へ行って、日本人の宗教観について韓国と日本との決定的な違いが分かった。例えば日本では「これは絶対駄目です」と融通が利かない。また、電車やバスは時刻通りに来る。素晴らしい。しかし、なぜだろうか、と何時も疑問に思った。なぜならば、人間が動かす機械が故障する場合もあるだろうし、人間がやっているんだからすこし融通を利かしてもいいじゃないか、とだ。
しかし、伊勢神宮へ行ってみてすべてのなぞが解けた。其処には日本人の根本である、宗教観、人生観があった。私たちは秋篠宮様までが接近出来るところまで案内された。しかし、まだ塀が高く中は見えない、塀の外で、まあ、私たちはいいから皇位継承2番目であり、王子である、秋篠宮様でも中には入れないのですか、との質問にもちろん「絶対、駄目です」が来た。日本は神が治める国だ。神の領域を人間共が侵してはならない、一回でも許せば人間はすぐ神をぼうどくしてしまうのだ。だから、融通を利かすわけには行かないし、「お客様は神様」とし、必ず約束を守るのだ。その約束は韓国とは違う。韓国ドラマが好きな方は韓国時代劇を見ても分かるように、韓国は賢い王様、父たる王様が愚かな民を、愚かな子供を治める。韓国では「お客様は王様」だ。時代劇、「宮廷女官、チャングムの誓い」でも、チャングムは王様の前でも同じ高さに胡坐をかいて座る。それは親が子供を座らせるようなものだ。正座すると足痺れるでしょうが。其処には神と人間の仕切りではなく、同じ人間同士でただ親と子供の関係がある。
また、伊勢神宮は三重県、三重県と言えば、御木本パールの本店がある。その後、もちろん御木本パールの本店で楽しい時間を過ごした。メインは何だったか今でも分からない。伊勢神宮?御木本パール?

10月26日(月曜日)晴れ
土曜日は小雨であって傘を持って行かず、博物館から雨にぬれながら帰った私にすまなかったのか、弟から今日は雨が降ると言いながら傘を持たされて、傘を持って学校へ行った。しかし雨は降らなかった。
今日の語学学校では前週まで担任である、うまく教えてくれるヒスパニック系のベンザミン先生がいなかった。その代りにとても太い金髪の20代中盤の若い白人女先生が来た。ベンザミン先生のお父さんが亡くなり今週は自分が代理に授業をすると言った。しかし、あまりにも授業ができなかった。ベンザミン先生はレベル2に合わせてとても楽しく教えてくれた。本当にとても面白くかったのに。
ところで、今度の先生はうまく教える事ができなかった。まずは教科書をきちんと一つずつ進行して行くのではなくそのまま問題に移ってしまう。またそのまま読み取り演習だとかプリントを分けてやるとかするのに私たちに自習する時間をあまりにも多く与え過ぎるのだ。授業の時間中、自習の代わりに宿題としてやって来なさいと言えば良いのにと思った。惜しい授業時間がしきりに過ぎ去るのだ。相手を攻めるのではない。しかし、私が日本で韓国語を教えながら感じたことは、良い先生になろうとすれば良い授業をたくさん見なければならないだ。それだけではなく、良い授業ではなくても他人の授業をたくさん見て聞かなければならないようだ。今度いい機会が私に訪れたとしか言いようがない。これから私が韓国語を教える事や人前で話をすることへの少しの参考としよう。他人からたくさん学ぼう。そのために私がニューヨークへ来たのではないだろう。
学校が終わって図書館で 2時間復習をして家に帰る。弟が久し振り学校へ行った。

10月27日(火曜日)雨
昨日夕方から雨がたくさん降った。今日も朝から大雨だった。傘を差しながら放課後、図書館へ行った。こちらでは白人の子供たちの保母で黒人とヒスパニック系の方が大活躍をしている。いい天気となればもちろんセントロルパークで三々五々集まって一緒に遊んだりもする。それでは雨が降る日にはどこへ行くのだろうと思ったが分かった。図書館の2階には乳児用専門書籍コーナーがあるのに、そこにすべての保母たちが子供達を連れて集まっていたのだ。  図書館はどこかの戦地のように泣いて大騷ぎをする子供達でいっぱいになっていた。
しかし子供達を連れて出かけることができる場所があると言うことが本当に良いことだと思った。特に他人に自分の子供を預けても保母たちは公園や図書館など、子供にとっていいところに連れて行ってくれる。安心してまかせられるのだろう。日本や韓国では親は休日にもなると親さえも子供を連れて行くところが少ないと嘆く。図書館では誰もが静かにじっといなければならない理由はないのだ。子供達がいる所では子供達の声がある。その声が笑い声である場合もある。
しかし、泣く声もあるだろう。笑う声だけが正解で泣く声は正解ではないと誰が決めたのだろう。子供達の出す声はすべていいんだ。それが子供達の声だ。私たちが、大人の願う声が正解ではないのだ。うるさい子供達のどなり声を聞きながら図書館で2時間勉強して家に帰った。
ヘソンのBMI学校の作詞家の友達が来て一緒に曲を完成させる事にしたが、その友達が仕事が遅く終わったため約束が取り消された。

10月29日(水曜日)
今日も放課後、図書館に行った。ハドソン川で軽い散歩とおやつを食べた後、図書館に行ってから2時間勉強して帰った。白人先生があまりにも授業を簡単に教えてしまうので、その代りに復習と予習をしっかりしなければならない。もしかしたらこんな良い所だけだといいかも。
6時頃にBMI友達が来てヘソンと作曲、作詞を完成させた。

8時頃にヨ博士が来てヘソンと一緒に聖書を勉強した。そして9時過ぎに帰った弟と一緒に夕飯を食べた。弟が10時過ぎに3ブロック離れたヨ博士を家まで送った。ヨ博士は韓国の江南にある超リッチな家の娘で頭もよい。弟の家からは約 3ブロック離れた所で住んでいる。プロテスタントでヘソンが教会に通い始め聖書が読みづらいと相談すると、その聖書の勉強をヘソンにしてくれるのだ。それだけではなく、勉強を教えてきながらいつもおやつや子供の小さな土産も忘れない、とても気が優しい人だ。今日はヨ博士が韓人タウンの韓国パン屋でおいしいパンをたくさん買って来てくれた。そしてヘソンが勉強するのに役に立つと聖書を分かりやすく書いてある本や、面白く読める本を持って来てくれた。ありがとう。

10月30日(木曜日)晴れ、ニューヨークの空の下で流した涙の一日 
今日は学校が終わってすぐ家に帰った。昨日は隣のシャリが休んでいたので、なぜ休んだの、と聞いた。昨日はイエスラエルにいる息子の14歳の誕生日だったそうで、電話をしてたら来れなくなったとのことだった。息子を一人国へ残しているので悲しくてたまらなかっただろう。
今日は弟夫婦が保険事務所に子供の健康保険と検診のため、病院に行く日だった。病院は朝10時だ。何とか見送りたくて学校が終わると走って帰った。病院が家から徒歩10分の所にあり、出かけようとしていた。家のことをしているから気をつけて、と見送ってた。彼らが出かけてからは、洗濯、掃除、食事の支度など、いろいろやった。出かけの際には2時ごろ帰るね、といった彼らが12時過ぎに帰った。早かったね、というと子供の検診のみだったそうで、お昼も食べるし、健康保険のため市保険局のインタービューに抜けている書類も書こうと思って帰って来たそうだ。3700gで生まれた赤ん坊はすこぶる健康で生後10日で一日2時間置きにミルクを60ccも飲み干している。生後9日で3900gのとても健康だと、先生かも褒められてウキウキして帰ってきたのだ。ミルクの量が多いし、また思う存分母乳が出ないので、現在は主にミルクだ。
彼らはお昼を済まし、抜けた書類を書き終え、保険局の事務所に出かけて行った。彼らが帰ってきたのは4時過ぎくらい。弟が先に家に入り、さっさと学校へ出掛けた。すぐ後を追ってヘソンが家に入った。ヘソンの顔は涙がまだ乾いてない顔だった。この子達、きっと事務所で何があったに違いないと思った。弟が出掛け、落ちついたヘソンはめそめそと話し始めた。今日はとても惨めだった。事務所には黒人、ヒスパニック系の女性らが子供を3-4人連れて来て、廊下いっぱい並んでいた。子供のなき声があちらこちらで聞こえる。ニューヨークにいる低所得者がすべて集まっていた。その中でぽつんと韓国人留学生がいた。妹のへソンの父親は韓国国立芸術大学の学部長で韓国伝統芸術の一人者で、又韓国無形文化財の呼称を持っておられる方だ。母親は大学教員で昨年定年退職された方で現在は趣味でやっておられた美術が功を奏し現在は韓国では西洋画家としてご自分の画廊を若手や新人に貸しており、若手育成にも力を注いでいらっしゃる。ヘソンは二十歳からミュージカルの作曲を始め7作品を舞台に上げた。
その中でも毎年作品の揚るもの、また3年間ロングランを続けている作品も2つある、ニューヨークでは皆さんも名前は聞いたことがあるかな、マライヤーキャリーが所属しているBMI音楽会社の作詞科コースで2年全額奨学金で勉強している。韓国ではもっとも影響力があるミュージカル作曲家でもある。BMIに作詞家、作曲家コースには50人の人が学んでいる。その中で白人47人、黒人1人、東洋人2人、その東洋人2人の中にヘソンがいる。また男性が80%、女性が20%であり、ブロドウェイミュージカル音楽界でも白人パワー、男性パワーを感じる。
弟はミュージカル製作会社のプロデューサで、皆さんがご存知かも知れないかナンタ(乱打)という非言語のパフォーマンス劇を作った会社の、2年間6つの作品を舞台に上げた実力派だ。ニューヨーク市立大学の予備修士課程1年生だ。NIUに進学し本格的なプロデューサとなるべく勉強したがっている。
そんな彼らがニューヨークで貧民街の人達と一緒にならんで泣き叫ぶ我が子を見ながら、とても惨めで、情けなかったのだろう。その上、インタービュー時間を1時間も過ぎだのにも関わらず、まだ順番が来そうもなかったので、いつ順番が来るのかを問い正したが、皆待っているんだ、待ってろ!とその答えだけ。それでようやく順番が来てインタービューが始まったが、また可笑しかったのが、生後10日でミルクを飲みすぎだとか、母乳のみにせよ、とか言われ、ミルクを飲みすぎを防ぐため子供の口を塞ぐわけにも行かないし、母乳は思う存分出ないし、どうしたらいいか。さぞ、腹だたしかったろう。
また、午前中の検診中は大人しかった赤ちゃんがインタービュー中はずっと泣き叫んだそうで、ろくに面接を受けられる状況でなかったそうだ。その上、母親のヘソンに卵は食べられるか、チーズは大丈夫かなど、いろいろ聞いて来たそうだ。その結果、赤ちゃんには5歳まで、毎月900ドル、へソンには母乳授乳の際には1年間、ミルクの授乳の際には6か月間50ドルが支給されることとなった。毎月小切手が送れる事となった。よかった。しかし、これにもカラクリがあり、小切手は店の入口に使用できる表示がしてある店だけ、また子供の粉ミルク、オムツなど子供品しか買えないようになっていたり、母親用はお菓子やビールなどは買えない。子供を授乳する際に必要なチーズ、卵、魚や食べ物などしか買えないようになっていた。だからヘソンにいろいろ食べられないものを聞いてきたのだ。11月から使える小切手をもらって来た。自尊心をズタズタにされて、140ドルを稼いで来たのだ。
ヘソンは少し休めばいいもののBMIの宿題があり、ヘットホンをはめたまま、作曲を終えた。その後、パソコンに20枚もある、音符を写す作業をし始めた。もう、やすんだら、と喉まで出たが、言えない。若い人だ。自分の体のことは自分が分かる。疲れているのならもう休んで、と言わなくても休むだろう。
ヘソンは3時間もパソコンに向かって音符をはめ込み曲を作った。前回の宿題は「欲望と言う名の電車」を読んで、もちろん創作作曲すること。今回は映画を見て、もちろん創作作曲をすることだった。私は欲望と言う名の電車さえも理解するのにわからないのに、作曲?ありえない。へソンはようやく寝床に入ったのが9時ごろ。へソンは韓国では20枚でも3時間で曲を書き上げるほど。しかし、彼女がいらいらするのは英語に曲をつけることだ。例えば「TRIP」の単語だ。よく知っているのが、「旅行」だが、「足を踏み外す、過失、失敗」などの意味もある。へソンは英語の詩から読み取れる意味、意図を理解し作曲まで3日掛かるが、その3日が韓国では3時間という、いらいらさがあるそうだ。
9時半ごろ帰ってくる弟だが、9時過ぎに早く帰ってきた。あまり飲まない、ワインを買ってきた。今日はいっぱい飲まずにはいられない一日だっただろう。寝床に入ったばかりのヘソンが起きて来た。弟の所為で苦労が多い。有難う。
2人と一人は酒席を上げた。しかし、ワインが辛くて強かったので、ビールを買いに弟が出掛けた。黒ビールを買って私と二人で2杯ずつ飲んだ。弟は私に、今回は申請するまい、と言ったことがある。何故かと言うと、前回子供が生まれるため健康保険を市保険局へ申請に言った際、9時面接のはずが2時になってようやく面接を受けた。その時も、貧民街の人々の中にぽつんと弟一人だけが恥と屈辱を味わったそうだ。銀行の残高やなぜ結婚してニューヨークまで来たのか、いろいろ洗いざらい聞かれ、面接でくたくたにされたことを思うともうその事務所行くか!と思ったそうだ。それが、まだ前回は一人での屈辱だったのが、今回は一家3人で。疲れているのだろう。しかし、私たちはニューヨークで得たものを語りながらお酒を飲んだ。未来の為に乾杯!
彼らのためにこの言葉を捧げよう。
経験と言うのはすべての人々が彼らの間違いに付ける名前だ。オスカー・ワイルド(O. Wilde)  ウィンダミア奥さんの負債

10月31日金曜日 
ハローイン、私はニューヨークで高橋真理子にあった。
今日はハローインだが、私はパレードを見に行く代わりに、カーネギーホールで開催された高橋真理子のコンサートへ行った。広島では滅多に公演なんか行ったことが無い。しかし、ここはニューヨーク、世界の公演や芝居、音楽などが楽しめるエンタテインメントがあるのた。特に日本では一万円以上するチケットもここでは安く手に入る。今回は高橋真理子さんの35周年記念コンサートが15年ぶり再びカーネギーホールでの開催となれば、行かずには行られない。もちろん私はC席15ドル、計算してみてほしい、どれほど安いのか。高橋真理子のコンサートを15ドルで楽しめるなんて。私はどれほど幸せな人だろうを噛み締めながら、カーネギーホールの5階、最上階に登った。大丈夫、歌手のコンサートだ。5階でも充分聞こえる。ましてはカーネギーホールはクラシックコンサートをするところ、クラシックコンサートをする場所で、Jポップコンサートを楽しめる、すばらしいではないだろうか。
コンサートの前にカーネギーホールに着いた。すぐ隣がスタバックスコーヒーだったので、暖を取るため入った。目の前はソウルの鐘路や明洞、ソウル市役所前のなんら代わりの無い風景だ。古い建物、道を急ぐ人々、行き来する車。ここで私はレギュラコーヒー。本を取り出す。昨日から読み始め、2日で読み終わりそうな勢いだ。もうすぐこの本を読み終わる。いったん、ここでは、私は新しい本を読み終えると儀式のように主人に感謝の気持ちを込め、本閉じる。私は約3週間の間、6~7冊の本を読み終えた。その中では、文学賞を得た本は同じ本でも2~3回は読んだ。だって文学賞をもらったくらいですもの。論文ではないけれど、作家の文学世界を理解するには韓国語が難しすぎるのだ。しかし、私が日本にいたときには、想像できなかったことだ。私には、仕事と家事と子育てがある。本を読み始め読み終えるまでの4~5時間が無かった。必ず、その間には子供の世話、食事に仕度、掃除、洗濯、干す、畳む、洗い物、お片づけ…犬の散歩。仕事から帰りそのすべてが終わるとへとへとになった私はお笑い番組で自分を癒し、安らぎ、寝床に入る。
しかし、今日私は優雅に一人でバスに乗り、セントラルパークで散歩、コーヒーを飲みながら5時間続けて読書、その後、コンサートにお出かけ。すばらしい。涙が出るくらいすばらしい人生ではないだろうか。しかし、私はちゃんと分かっているのだ。こんな貴重な時間を与えてくれたのが主人であることも。コンサートはすばらしかった。前回15年前、初カーネギーホールのコンサートの為に準備していた曲がその時は完成していなかったのが、15年を得て完成しましたと。歌ってくれた。とてもすばらしいかった。また、ここで、いい思い出をひとつ作った。

11月1日(土曜日)
お米がなくなったので、弟夫婦は安いからといってニュージャージーの安いスーパーまで買いに出掛けた。10時に出掛けたのが4時過ぎに帰ってきて、へとへととなった二人はこれからは絶対行かないと叫んだ。私はハドソン川の散歩に出掛けた。

11月2日(日曜日)
教会に行った。
へソンが一人で子守が大変と言ったので、お昼も頂かず、礼拝が終わって走って家に帰った。
午後はヘソンの付きの課題であるもちろん白黒のアメリカ映画を一緒に見た。字幕無しで。おいおい!!!字幕がほしいよ。「すばらしい日」という白黒映画だ。どんな困難が来ても、きっと次は良い事がある、という「人間万事、 塞翁が馬」という教訓の映画だ。又これを観て、作詞、作曲することですって。パートナーは毎回替わるそうだが。やっぱり私には、芸術は分からない。これからも凡人でいこう。

11月3日(月曜日)
学校。ベンザミン先生が無事お帰りになった。お父様が無くなったそうだ。ご冥福をお祈りいたします。学校が終わって図書館へ。
ヘソンのパートナーが来て二人で課題を完成し、学校へ。漸く「欲望という名の電車」が終わった。良かった。しかし、もう次の課題が来たので、今日で課題が終わりではなく、新たな始まりかもしれない。へソン頑張れ!!!

11月4日(火曜日)
232年ぶり初黒人大統領が誕生した。歴史的瞬間、私はアメリカでその歴史を目撃する。
ヨ博士が勉強を教える為に来た。何時も有り難い。

11月5日(水曜日)
学校が終わり、図書館で2時間勉強をして帰りにスーパーに寄り買い物をした。今日の昼は煮込みラーメンだ。へソンは今まで食べたラーメンの中で一番おいしいと言ってくれた。有難う。本当、毎日食事の世話。洗濯、掃除など。でもその中で学校へいく時間が一番安らぎだ。一番好き。
レベル2でも分からないところがあり、レベル1の教科書を借りた。私の苦手とするところを復習した。机に向かい一所懸命な私にへソンが「子守もせず、何しにアメリカに来たの、義理姉さん。」と。そうだ、今日も図書館で2時間、家で3時間鉛筆を持って、勉強。指が痺れ、肩が痛い。でも、特別趣味と言えば、趣味が勉強ぐらいな私。しょうがない。この癖は何処へ行っても直らないので…。子守をしながらの勉強は慣れっこだ。長女が大学の時に生まれ、長男は大学院の時に生まれた。勉学と子育てをして来ているから一人3役なんて、ちょろいもの。赤ちゃんにミルクを飲ませながらペンを持ち字を書く。容易いことだ。でも、へソンに自分の子を落としそうで怖いと、大丈夫、これで2人育てたんだから。

11月6日(木曜日)
帰りに買い物。キムチチゲを作った。何時もおいしく食べてくれる。

11月7日(金曜日) 
語学学校を休んでヘソンが作ってくれたサンドイッチを持ってウドベリへ行った。ブランド物をたくさん売っている所だ。夫の為にフェラガモの靴とコーチの財布を買った。もちろん自分のも。8時半家を出て、9時高速バスに乗る。10時到着。料金は往復40ドル。靴とカバンを買ったら12時、店の移動中、ディージーニショップへ立ち寄った。へソンから電話が入り、子守が大変だから早く帰って、との事。まだ、観てないのになあ。12時30分バスに乗って帰った。家に着くと2時半。赤ちゃんに異常なし。初子育てって、こんなものだろう。特に此処は言葉も通じないアメリカだ。自分の国で子育てをしても大変。日本でも話題になった赤ちゃんポストがある。夫や義理姉が留守で一人での子守は怖いと、赤ちゃんの息ひとつひとつが怖かったと、今は子育てブルー真っ最中。もう少し買い物したかったなあ。

11月8日(土曜日)雨
昨日から調子が悪いヘソン。マダニティブルーの到来。10時、自然史博物館へ行った。家の前からバスがあるので、バスで行った。4時間観覧。もちろん「ドネイション」寄付で入った。
博物館から帰ってもヘソンの産後うつは直ってない。それなのに私はヘソンが頑張って絞った母乳を80CC も捨ててしまった。ご免ね。

いままで読んだ本

2007年度黄順元短編小説当選作集
10人の作家が書いた短編小説ではあったが、文学世界の深さに難しさを感じた。1回では理解できず2回も読んでようやく文脈だけ取った。

だれも10Kg やせられる。
ソウル大学ユテウ博士が書いた肥満治療の為にダイエット本。ここのは3つの約束だけ守れば必ずやせられるそうだ。その一つ目が一日水を2リットルの飲む事、二つ目が今までの食事を半分にすること。3つ目が禁酒だ。私はその3つ目を守れないのでパス。

THE SECRET
ロンダ・バンが書いた、この本は世界的ベストセラーでもある。初版印刷が2007年6月で私が読んだ本は2007年12月80番目の印刷だった。だった半年で80回もの印刷をしたのだ。
人生に役立ついい一冊だ。お勧め。

だから僕は学校へ行く!
乙武洋匡 著。この家にあったただ一冊の日本語の本だ。

完璧な死
GUILLAUME MUSSO 著
現在フランス文壇で最も注目を浴びている作家の一人で2004年出版されフランスでは30万部、世界10ヶ国語で翻訳されている。この「完璧な死」は彼の2番目の小説であり、911後のニューヨークが背景だ。主人公の若き弁護士に、ある医師が訪れ死を予言できると、その後、彼は他人の死に係る事件に巻き込まれる羽目に、ミステリアスで最後まで手が離さないのだが、この本は死に直面した優秀な男が生涯最後になって振り替えってみた、一番大事なものについて語っているのである。私は特にニューヨークが背景であることで地名や場所などが分かり、その分小説がもっと面白かった。436ページもあるこの本を2日で読み終えたのだから。そして、もう一度ニューヨークの町並みを思いながら2回読んだ。

11月9日(日曜日)
タクシーを呼んでヘソン、赤ちゃん、皆で教会へ行った。へソンもストレスを解消する場が必要だろう。牧師さんから赤ちゃんと弟、へソンが祝福を受ける。へソンも少しはストレスが解消されたようだ。3日間全然笑ってなかったのにようやく笑顔が戻った。有難い事だ。もう毎日教会へ行ってほしい。
教会から戻り、弟と私は二人で「ラジオスター」を観覧、その後、韓国人タウンへ行って買い物をして帰った。

11月10日(月曜日)
弟とへソンが早めに学校へ出掛けた。帰りに二人とも韓国人タウンで髪も切り、ストーブも買って来た。気晴らしをいっぱいしてください。

私が出会った、ニューヨークで会う全世界の食べ物について。
人々は言う。ニューヨークはアメリカではないと、ニューヨークで3日過ごしたら、その意味が分かる。通りを往来すれば10人の中の3-4人以上は英語を話さない。英語で話す10人の中の2-3人はネイティブスピーカーではないことが分かる。韓国、中国、日本、インド、ロシアだけでなく、見ることもできなかった、アフリカのアイボリーコストやマリみたいな国からやブータンやモンゴル、パキスタン、ウズベキスタン、ユーゴスラビヤ等々。
韓国では想像もできない国の人々がニューヨークに住んでいる。人々だけではない。何処の国にでもあるチャイナタウンはもちろん、リトルインディア、リトルイタリア、コリアタウン、そしてリトルウクライナがある。かと言えばアイルランドや南米ドイツ町もある。言わば全世界の食べ物をまともに味わうことができる所がニューヨークだ。それも各国の人々が直接、経営する飲食店でね。特にリトルインディアやリトルイタリアに行かなくてもニューヨークの通りごとにいっぱい店がある。全世界から来た移民が始めている飲食店だ。
これが韓国や日本との違いかも。日本にある韓国飲食店や韓国にある日本食の店は現地人がやっている場合が多く、それも日本人の口に合わせた韓国焼肉屋が多い、もちろん韓国でも日本食なのに日本人が食べているものではなく、韓国人の口に合わせたものだ。
例えば韓国では日本食屋で刺身をゴチュジャンにつけて食べる。醤油とわさびではない。又、わさびでも何を間違えているのか、わさびに似た「からし」だったりするのだ。また大根の千切りの上に刺身を乗せるのではなく、コンニャクみたいなものの上に乗せ、それを使い回すのである。
ニューヨークでのインドの食べ物屋さん。
安いながらもおいしく食べることができる所はイーストビレッジのリトルインディア。本当のカレーを食べたければこちらに一度行って見るとインディアン食堂にも出会える。インドパンや各種香辛料を手ごろな価格に購入することができる。
ベトナム食堂
実は韓国や日本のベトナム食堂がずっとおいしい。それでもチャイナタウンに行けばベトナムライスヌードルを安く飲むことができる。暖かくておつゆのある食べ物が必要な私たちに必ず必要な食堂中の一つ。
メキシカン食べ物
もうメキシカンの食べ物はアメリカ食べ物のひとつとして位置付き、おいしい。
ユダヤの食べ物
コショと呼ばれるユダヤ人たちの食べ物。その中の一部はもうニューヨークの代表となっている。。又ユダヤ人たちは食事をする時、厳格な規則を持っていて食事ごとにテーブルクロスと器を取り替えるなど。その他の国の料理はいろいろ!!!

11月11日(火曜日)
クゲンハイム美術館やセントラルパークへ散歩。

ニューヨーク市とニューヨーク州は違うぞ!!!
住所にニューヨークになっていれば、ニューヨーク市と思いがちだが、実際に行ってみたら田舍だったと言う話もたびたび聞く。私達が一番すぐ混同するのがニューヨーク州とニューヨーク市だ。ニューヨーク州はロクランド、ウェチェストなどの多くのカウンティと、ニューヨークなど多くの都市で構成されている。主にオルボ、Albanyとニューヨーク州北にコテティカットとメサスセツがある。
西の方ではペンシルベニアとメリーランド、ニュージャージーがある。全体ニューヨーク州ではニューヨーク市の占める割合は小さい。
ニューヨーク市は780Km2広さに80万人口が住む地域で、北米大陸の東にあってニューヨーク市南側では、フィラデルフィアとワシントンDCがあり、北ではボストンがある。
ニューヨーク市は5区で分けられている。
マンハッタン
ヨーロピアンたちが一番先に居住し始めた所で、すべての観光地が密集されている。ニューヨークに住む人々はニューヨーカー、マンハッタンに住む人々はマンハッタンナイトと呼ぶアメリカ経済を動かす力がこちらに密集している。ショッピングも観光も勉強も皆マンハッタンで成り立つ。
ブロンクス
一時は金持ちが暮らす郊外地域だったが、今はニューヨーク市の中で一番危ない地域になった。多様な民族が集まって住んでいてブロンクス動物園とボテニカルガーデン、ヤンキースタジアムが観光名所。
クイーンズ
長くて広い地域でロングアイルランドみたいな商業地域と居住地域で成り立っている。ニューヨーク市のメイン空港である、JFK国際空港があり、博物館と有名な食堂が一つ二つ生じていって、エストリアにギリシア係、プルロシングに中国、韓国系など多様な人種が住む町。
ステイトンアイルランド
映画 [70日で男に振られる法-How to lose a guy in ten days]で男主人公の家のある町がステイトンアイルランドだ。マンハッタンではバッテリーパークでペリーに乗って行くのに、主に白人たちが住む地域で安全で家賃も安い。驚くべきことにこちらで仏教寺院のチベット文化に会える。

ブルクルリン
アメリカの有名な人々の中にブルックリン出身が一番多いと言う。ニール・サイモン、メール・ブルックス、ウディ・アレン、スティイク・リーなどが、皆ブルックリン出身だ。ニューヨークのすべての地域がすべてそうだが、ブルックリンは特にあらゆる人種が集まって住む所。パークスロープとブルックリンハイツなどは古い歴史的のある居住地域だ。

11月12日(水曜日)
ミュージカルを見に行くはずが無くなり、昼寝をしてしまった。
一緒にオードリ・ヘップバーンの「マイ フェア レディ」を鑑賞。もちろん英語のみ。

マンハッタンの構成について。
大きくはハーレム、アップタウン、ミッドタウン、ダウンタウン、ローマンハッタンなどで分けられるが、エビニュ-とストリートに別途の名称を持っていてチェルシー、SOHO、イーストビレッジだけではなく、ガーメント、ディストリクト、ファイナンシャル、デ-スタリックトみたいなビジネス地域とヨクビル、コリアタウン、チャイナタウン、リトルインディアみたいな少数民族のガデ-などマンハッタンの隅々の特性に相応しい地域がある。
エビニュ-は南北で伸びる道だ。
イースト川の方で手始め西方へ行くほど数字が大きくなる。例えば、
1st Ave、2nd Ave、3rd Ave、Lexigtion Ave、Park Ave、Madison Ave、
5th Ave、6th Ave、 7th Ave、 8th Ave、 9 th Ave 10 th Ave 11 th Ave がある。
5th AveはAveを中心に西の方にWest、東にEastと呼ばれるローマンハッタン地域は1st Aveに、東にAve、A、B、Cがある。

ストリートは東西に伸びた道をいうよ。
ストリートは東西に伸びていて、その下の地域のすべての道をすべてストリートと呼ぶ。30th St-59th St はミッドタウン、その上のアップタウンの上をダウンタウンだと呼ぶ。
マンハッタンの住所の読む方法。
マンハッタンは住所が体系的によくできている計画都市だ。グリーンイッチビレッジを除き、道を捜すのにとても易しいストリートにある。建物の中心に北は奇数南側は偶数だ。
建物の番地数は5TH Ave とセントラルパークで始めて東西でエビニュ-を経つ度に100回と200回増える。
イーストサイドの 5TH Ave で 3Th Ave までは50回ずつ増える。
また、エビニュ-沿線上にある建物の住所は南側から、北に行くほど番地数が増える。中心に東は奇数、西の方は偶数番地になる一部例外がある。

11月13日 木曜日
ヘソンは教会の皆さんと韓国人タウンで昼食のためにお出かけ。
気晴らしになればいいのに。
弟は来年の大学院入試の為の面接を受ける。

誰がニューヨークに住んだんだろう。

Upper West
ジョン・レノン(歌手) 1W 72 nd St
ニューヨーク建築歴史を輝かす素敵で本当に高いダコタアパート。ジョン・レノンがこちらに住んでいた。1980年入口で殺害された。
ジェームズ・ディーン(俳優) 19 W 68 Th St
[エデンの東] の映画直前こちらにある部屋一間アパートの最上階に住んだ。
イサドラ・ドンコン(舞踊家)
F・スコット・ピッツジェラルド(作家)
ベーブ・ルース(野球選手)
J・D・セルリンゾ(作家)
ドナ・カラン(デザイナー)
マドンナ(歌手)

Midtown
トルーマン・カポーティ(作家) 870 UN Plaza Ave&48th St
[ティファニーで朝を]の著者
イースト川が見える22階で住んだ。
グレタ・ガルボ(俳優) 450 E 52nd St(1St Ave)

Chelsea
ジャニス・ジョプリン(歌手) 222 W 23rd St
60年代の象徴的な歌手、ジャニス・ジョプリンはチェルシーホテルに住んだ。その外にも、ボブ・ディラン、ジミ・ヘンドリクス、ピンク・フロイドのメンバーなどがチェルシーホテルのお客さんだった。
ハリスン・フォード

Greenwich Village
ジミ・ヘンドリクス(ジャズミュージシャン) 52 W 8th St(6th Ave)
60年代にこちらのスタジオをオープンした。
アレクサンダー・カルダー(芸術家)
ハーマン・メルビル(作家)
ユジン・オニール(作家)
エドガ・アラン・ポー(詩人作家)
マーク・トゥェイン(作家)
ジェニファー・ロペス(俳優歌手)
サラ・ゼシカ・パーカー(俳優)

Harlem
デューク・エリントン(ジャズミュージシャン)
ビリ・ホリデー(歌手)
マルコムX(黒人活動家)
ノーマン・ロックウェル(画家)

Upper East
ジャクリーン・ケネディ・オアシス 1040 5Th Ave(E 85Th St)
セントロルパークが見える部屋14個のアパートに住んだ。彼女が死んだ後、億万長者に売れた。
アンディ・ウォーホル(画家) 57 E 66TH St(Madison Ave)
1972年から1987年から死ぬまで暮した赤い煙瓦建物。

East Village
チャーリー・パーカー(ジャズミュージシャン) 151 Ave B(E 10th St)
ビーバップジャズの大家チャーリー・パーカーが1960年代初めに、こちら地下で 5年間暮した。
レオン・トロツキー(革命家)
77 Saints Maek`s Pl(1st Ave)
1917年トロツキーはこちらで社会主義新聞を発刊した。その年、彼はボルシェビキ革命に参加するためにロシアに発った。実際、彼が住んだ所はブロンクス。

Brookiyn
アル・カポーネ(マフィア)
シナドア・ドライゾ(作家)
ヘンリ・ミラー(作家)
ジョン・ロックフェラー(ミリオネア)
マイク・タイソン(運動選手)
ウォルト・ホイットマン(詩人)

11月14日(金曜日) 雨
ヘソンとウドベリアウットレットブランドショップへ行って死にもの狂いで買い物する。こんな一生懸命だったら東大入学も間違いない。12時間ショッピングする。

ニューヨークは巨大なスタジオ!!!
世界で一番多い映画とドラマの背景になった都市を選びなさい、といえば、ニューヨークではないだろうか。2002年上半期だけでも、221本の映画がニューヨークで撮影された位。
なお、かつウディ・アレン、マトン・ストルセズ、スパイト・リーなど、または今は離婚したガイ・リーチとマドンナ夫婦、ティム・ロビンソン、スザン・セランド夫婦、リチャード・ギア、ジュリア・ロバーツなど。
有名な映画監督と俳優がこちらに住んでいるので、ニューヨークを背景に数多い映画が製作されることはあまりにも当たり前の事だ。911以後撮影が全面禁止されてから[ツーウィックスノーティス]TWO WEEKS NOTICE [メードインマンハッタン]MAID IN MANHATTAN [10日で男友達を振る方法] など三本の映画をきっかけで、また撮影が始まった。そのためか、三本の映画は皆ニューヨークのあちこちの風景を最大限、美しく見せてくれている。

Falling in Love
Ghost
パトリック・スウェイジ、デミ・ムーア主演の映画。あまり愛したあげく死んで魂になってまで愛する女を守ってくれるという内容。
Ghostbuster
Home Along 2 [Lost in New York]という副題を持っている。
King Kong
ゼシタ・レング主演。キングコングがエンパイアステートビル(後でワールドトレードセンターで再撮影した)に上る場面が出る。
ワールドトレードセンター、マンハッタン全景
Sleepless in Seatle
メグ・ライアン、トム・ハンクス主演・息子がラジオに送った葉書で偶然に結ばれるようになる男女話。
エンパイアステートビル、ワールドトレードセンター
When Harry Met Sally(1989)
メグ・ライアン、ビリ・クリスタル主演の映画。偶然に会った二人が愛に陷るようになるまでの話。カツデリー、メトロポリタンミュージアム。セントロルパーク、ワシントンスクエア、セントロルパークのボートハウスカフェーなど。
Autumn in New York
リチャードギアー、ウィノナ・ライダー主演
セントロルパーク、ロックフェラーセンターのアイスリンク
Coyote Ugly
主人公バイオレットが故郷を発って歌手になるためにニューヨークへ来る。
イーストビレッジのコヨーテア、グリーサルルン
Die Hard 3
ブルース・ウィリス主演の映画。マンハッタンのあちこちで撮影された。緊張感を高めるためにすべてのものの実際地名が使われた。
地下鉄、ハーレム、ウォールストリート、セントロルパーク、ヤンキースタジアムなど。
Banila Sky
トム・クルーズ、ペネロペ・クルス主演の映画。タイムススクエア、ブロードウェーなど。
You`ve got Mail
トム・ハンクス、メグ・ライアン主演の映画
アッパーウェストの多様な場所が映画の中に開かれる。
カフェーラーロ、グレースパパヤ、 リバーサイドパークなど。
Moonstuck
シェア・ニコラス・ケージ主演。リンカーンセンター、ブルックリンなど。
Devil`s Advocate
アル・パシーノ、キアノ・リーブス主演。成功のために魂を悪魔に売る話。
最高級マンハッタンのシチューディアの姿が見もの。
Man in Black
ウエル・スミスとトミーリー・ジョーンズが宇宙人を探し出して、とり除く刑事で出る映画。
グゲンハイム美術館など。
Everyone says I love you
ウディ・アレンの映画。メトロポリタンミュージアムなど。
Love Story
ストレート髪の毛のアリー・マッグローが本当に美しかった思い出の映画。
セントロルパークなど。
Splash
トム・ハンクス初期映画・ダリル・ハンナが人魚で出る。
アメリカ自然史博物館、サウスストリート、シーフォト、セントロルパークの中にあるウルモンリンクなど。
Big
急に大人になったトム・ハンクスはニューヨークのおもちゃ会社職員になる。
パオシュウォツサウスストリート、シーフォト。
Scent of a Waman 1992
貸し付けのカリスマ俳優アル・パシーノが盲人で出た映画。プラザホテルなど。
The Secret of My Success
[私の成功の秘密]と言う題目で主演はマイケル・J・フォックス。
サウスストリート、シーフォト、アサリチバスターミナルなど。
Two Weeks Notic
サンドラ・ブロック、ヒュ・グラント主演のロマンス・ストーリー。
コニアイルランド、マンハッタンの摩天桜など。
Maid in Manhattan
How to loose a guy in ten days
男友達に10日で振る方法。ステイトン・アイルランドなど
Phone Boot
公衆電話一つで映画撮影を終わらせた映画。タイムス・スクエア、ホイットニ・ミュージアム等。
Friends
六友達が毎日集まるカフェーセントロルパークがすぐグリーンイチビレッジにあることに設定されていて、実際撮影はロサンゼルスでする。ニューヨーカーたちの友情と愛情生活を見られる。
Sex and the City
多くの部分をニューヨークの通りとレストラン、カフェーで撮影した。四人の30代ニューヨーカーの男&ファッション狩りなど。ホームページに撮影場所が公開されている。

11月15日(土曜日) 雨
CIRQUE DU SOLEIL [WINTUK]を観覧。
弟は大学院オープンキャンパスに参加のため、早めにお出かけ。

ブロードウェーミュージカルとは?
全盛期だった1928年に80余個の劇場で264編の演劇が公演された。アメリカ最大の映画館通りブロードウェーは、今は40余の劇場だけ残っていて上演される作品大部分は興行が保障されたロングラン大型ミュージカル位だ。
ニューヨーク最初の劇場は1798年オープンしたパーク劇場で、1820年火事で消失した後、また再建になったが、ブロードウェー最初の劇場は1900年42nd Stに立てられたビクトリア劇場だ。
最近映画[ムルランルズ]、[シカゴ]以後、ブロードウェーショーに対する関心がもっと高くなっていて、アメリカ人はミュージカルと言う言葉の代わり に[オペラ]や[ショー]と言う。

ブロードウェーミュージカルのチケットを買う。
(1) 劇場のチケットボックスで買う。
演劇を上演しない時間にも劇場門は開かれていて、入口真ん中の方へチケットボックスがあって、チケットボックスの隣には座席表があり、希望するミュージカルの劇場位置を確認した後、直接劇場に尋ねて切符を購入する。事前に電話をかけて希望する日付と時間に切符が残っているかどうかをチェックすることを忘れないでね。
売り切れた場合はウェイティングもできる。あらかじめ劇が始める前に早く到着して、ボックスオフィスにウェイティングが可能が確認して名前を残しておくこと。
(2)インターネットで買う。
一応先に言いたいこと。絶対安くないし、割引にならないことだ。甚だしくは配達料が付いて普通$30位別に払うようになる。しかし、クリスマスや年末には人気ショーは大部分売り切れるのでインターネットで買った方が良い。
(3) タイムススクエアのtktsで買う。
当日切符を50-25%まで割引して売っている。販売ボックスの前にある電光板でその日の割引公演を確認するように。ただし週末や年末はショーのチケットは買いにくいので、うまくいくと昼公演がある水曜日と土曜日は午前10時に日曜日には11時、平日には午後3時にオープンする。現金トラベラーズチェックだけ受けとる。クレジットカードは絶対使えない。

11月16日(日曜日)
教会から帰ると、へソンのBMIの友だちが二人来た。二人ともゲイらしい。格好いいのに。残念。へソンと課題を済ます。

ニューヨーク常識百科
ニューヨークの三種類ニックネームはお分かりですか。
(1)The Empire State
アメリカ最初の首都だったニューヨークに対するプライドが感じられる言葉。ニューヨーク州全体を説明する言葉で、皇帝の州、最初の州という意味が盛られている。エンパイアステートビルと言う名前もここで来由されたのではないだろうか。
(2)Big Apple
ビッグアップルニューヨークをビッグアップルだと呼び始めたのは1920年代からだったと言う。初めて登場したことは、ジョン・ピッチジェラルドが [モーニングテレグラフ]に競馬記事を書いてから。当時記事は[最大の補償Greatest Reward]という意味でビッグアップルという単語を書いたが、この隠語はすぐニューヨークを示す言葉で使われるようになった。
(3)Gotham city
ゴダム市は馬鹿だけ住むという伝説の都市。アーヴィング・ワシントンが彼のジャーナルでニューヨークをゴダム市だと初めて呼んだ。この単語を使った飲食店や本がある。

一口歴史
1783年 パリ条約締結アメリカ独立
1785年 ニューヨーク市がアメリカ最初の首都と指定
1789年 ジョージ・ワシントン初代アメリカ合衆国大統領誕生
ニューヨークは 33,000人の人口を持った港市で発展
1790年 フィラデルフィアで首都移転
1797年 お金の単位である、ドルやセント、ダイムがニューヨーク市で使われはじめる。
1808年 アーヴィング・ワシントンが彼のジャーナルでニューヨークをゴダム市と呼んだ。ゴダムは現在のニューヨークの愛称で馬鹿だけ住むという伝説の都市。
1811年 世界最初の蒸気船がマンハッタンとニュージャージーのホボケンの間運行手始める。
1925年 今のワシントン・スクエア・パークオープン
1827年 ニューヨーク市に残った最後の奴隷解放
1831年 ニューヨーク最初の鉄道運行
1823年  NYU 学生入学
1858年 メイシース・デパートオープン
1859年 セントロル・パークオープン
1861年  4月 12日南北戦争勃発
1870年 ロックフェラー、スタンダードオイル社設立。
メトロポリタンミュージアム財団設立
1872年 ブルルミングデイルス・デパートオープン
1877年 ベルがニューヨークで最初で電話機お目見え。アメリカ自然史博物館オープン
1879年 聖パトリック聖堂完工
1880年 メトロポリタン・ミュージアムオープン
ニューヨーク通りに最初で電気街燈お目見え。
1881年カーネギーホール開館
1882年トマス・エジソン、 J.P. モーガン事務室から世界最初に電気をつける
1884年 アッパーウェストに最初の億ションであるダコタアパート登場
1886年 フランスが自由の女神像の贈り物
1912年 タイタニック号障害物にかかって座礁する
1914年 第1次世界大戦勃発
1918年 第1次世界大戦終結
1929年  10月 24日株式市場崩壊大恐慌始まる
1941年 アメリカ第2次世界大戦参戦
1945年 第2次世界大戦終結
1961年 ケネディ大統領誕生日パーティーをメディスン・スクエア・ガーデンで開いてマリリン・モンローが誕生日祝い歌を歌う。
1965年 黒人リーダー、マルコム X 暗殺される
1971年 ビッグアップルがニューヨークの象徴になる
1980年 ジョン・レノン暗殺
1984年  AIDS 発見
1987年 株価暴落
1994年 検事出身で共和党員ルドルフ・ジュリアニ(愛称、ズデ-)市場で就任
彼はニューヨークを安全できれいな都市で作ったという、評価を受けた一番愛される政治家
ジャクリーン・ケネディ・オナシス死亡
2001年  7月 30日クリントン前大統領ハーレムに事務室オープン
9月 11日 ワールドトレードセンター崩壊
ブッシュ大統領、テロとの戦争宣布
2003年  2月26日新しいワールドトレードセンターデザイン選定
3月19日米軍イラク攻撃

アメリカ人は、アメリカと自分たちが、911以後多くが変わったと言う。2次大戦当時、真珠湾を攻撃された以後、初めて外国の攻撃を受けたからだ。それも彼らの象徴だと言える経済の中心地、ニューヨークと国防省に。実際にアメリカの人々はもうちょっと保守的に変わったし、愛国者になったし、閉鎖的になった。もうアメリカ全域には、ニューヨークでも多くの星条旗がかかっていて、そしてすべての制度が変わった。どこを入って行っても、かばん検査を受けなければならないし、入国手続きも本当に気難しくなった。

2001年 9月11日事件日誌
7;45 a.m.-8;10 a.m.
イスラム系テロリストによって東部海岸で出発した、4機の飛行機ハイジャックされる。
8;46 a.m.  一番目の飛行機がワールドトレードセンターの北建物にぶつかる。
9;03 a.m.  二番目の飛行機がワールドトレードセンター南側建物にぶつかる。
9;43 a.m.  三番目の飛行機がワシントン・ペンタゴンの建物にぶつかる。
10;05 a.m. ワールドトレードセンター南側建物崩壊
10;28 a.m. 四番目の飛行機がペンシルバニアのサマセットカウンティ野原に墜落
5;20 p.m. ワールドトレードセンターの三番目のビル崩れる。

ワールドトレードセンターの中のすべての建物が崩壊したし、周辺の他の建物も深刻な損傷を被る。この事で、約 3,000人死亡、消防署員343人、警察23人と四台の飛行機墜落。結果で260人死亡。ペンタコンでは120人死亡、1,337台の自動車こわれる。

11月17日(月曜日)
学校の帰りにペットショップへ寄り、うちのわんちゃんのための買い物をした。
ヘソンの発表課題のため、最終練習のため、再びゲイの友人と背の高い女性が来た。
ニューヨーク行く時必須の準備物についてだが、店は多くて、ショッピングモールも多いニューヨークだが、ただ一つ私たちを満足させることができない品目がある。それは生理用ナブキンだ。だからニューヨーク旅行の際には必ず生理用ナブキンを持っていくように。
もちろんディアンリードやCVSみたいなファーマシーで買うことはできると言うが、とても厚ぼったくて本当に不便だ。アメリカ人は大部分タンポン種類を使うからだ。また、旅行ではなく、アメリカで勉強する人は必ず消しゴムを買っておくこと。市内で買うことはできるが品質が落ちる。美術用消しゴムは品質は良いが、価格が高い。文房具も水っぽく品質が下がるので必ず日本製を買って持って行くのが良い。

11月18日 火曜日
ハドソン川、セントラルパークを散策。秋が過ぎ、もう冬の到来を感じる。

ニューヨーク観光チップについて。
ニューヨークでトイレに行くことは、無惨な位に大変だ。デパートにもあまりない。普通大きいデパートには女トイレ一つ、男トイレ一つ位だ。だから、大型割引売場は? どんでもない。大きい建物の1階は? もう難しい、ホテルの一階は? 1階にトイレのないホテルが大部分だ。デパートへ行っても、位置を必ず聞いて見るように。
スターバックスも繁華街にあるものは使うことができなくて、お客さんが願えばトイレ門を開いてくれる位だ。地下鉄駅にもトイレはない。1970年代ホームレスの増加と麻薬使用で地下鉄の駅トイレを閉鎖したからだと言うので、道に出る時は、初めからトイレに行っておいた方が良い。
急ではないとしても、トイレが見える度にあらかじめ行くことも、方法だ。少なくとも、ニューヨークを楽に旅行したければ、言葉だ。参考までに、使うことができるトイレもきれいだと言えない。
スターバックスにはショートサイズがない!
一応スターバックスに行けば、驚くのが時間がすごくかかるということだ。日本や韓国ならば10秒なら終わる注文が、普通5分以上かかる。また、ショートサイズなしに、一番小さなサイズがグランドの大きさだ。またカフェーアメリカンの濃度はエスプレソ水準。薄いコーヒーを願う人はお湯をくれと言って交ぜて飲むといい。
スターバックスの外でも、すべての店でコーヒーやお茶を注文する時、ミルクを願うのか、聞いてくる。見ると、コップにミルクを入れる余裕空間が必要かどうか聞いている。ミルクや砂糖が必要ではなければ [Just Black]と答えれば良い。
信号無視がニューヨーカーの得意技?
マンハッタンで信号を守る人は観光客や私ぐらいのものだ。警笛をあげるとか、大声を出さないで待ってくれる運転手が宇宙人のように見えるほど。
普通ニューヨークの歩行者たちは車用信号灯が緑になる直前までも渡る。信号が変わっても走って渡る歩行者は、私だけだった。どうしてもマンハッタンは歩行者の天国みたいだ。

11月19日(水曜日)
学校が終わると、すぐグランドセントラル駅に出掛けた。その後、ブロドウエーへ行って2時公演の「オペラ座の怪人」を観覧。
4時半に終わり、すぐ電車に乗って帰る。へソンは8時公演の「シュレック」を観に6時半に出掛ける。

いままで読んだ本

チョン ビョンウク 牧師 著  「若いライオンは腐った肉を食わない。」
チョン ビョンウク 牧師 著  「泣けば生きられる。」
イ チェチョル 牧師 著   「青年よ、泣いても種まきをしなければならない。」
考える20代の為の20個の話。
マシャ・グレド 著    「物語りの外へ出たお姫様」

11月20日(木曜日)
午前中は学校、図書館へよりセントラルパークへ。弟は今日で最後の試験。
ヘソンの友たちが遊びに来る。

11月21日(金曜日)
学校では最後日、試験があった。100点。書く、聞く、読むは出来るが話すが出来ない。学校の帰りにチキンやピザーを買って帰る。お腹いっぱい食べる。もう食べられない!!!

11月22日(土曜日)
午前中、子守。午後はミュージカル「シカゴ」鑑賞。39ドルで一番前の席、俳優の唾も飛んだ、あ、、幸せ!!!
夜は、ミュージカル鑑賞のために出掛けた二人のために子守。

今まで読んだ本

一万時間の南米-427日間の南米旅行記 朴ミンウ 著 プラムブック社 
357ページを2日で読み終えるほど面白旅行記だった。
妓生「ものを言う花」の文化誌 川村 湊 著   韓国翻訳版であり、とても面白かったので日本に帰って日本語でもう一度読んでみたい本。お勧め。

私はこれで旅を終える。こんなに旅行記を書いてしまって皆はこれから私にニューヨークが懐しくなるでしょう、と聞くだろう。しかし、私はこれからもニューヨークは懐かしくならない。なぜならば、私はニューヨーク生活で得たことが多かった。なによりも弟家族との大事な時間を過ごすことが出来た。
ニューヨークでの 45日間はただ私の生活のお休みだっただけだ。お休みを一生することはできない、これからは日常生活に戻るだけだ。
ニューヨークにいた、瞬間、瞬間を最大限、率直に楽しんだって事だ。ニューヨークの自由な空気は自分に率直で、充実した瞬間を買うことができた。
ニューヨークで生活することは、水と椀のようにいつも我がそばにあって自然なものが、ニューヨークでは皆、冒険になってしまった。生活は生存のための闘いになってしまう。初めには地下鉄に乗ることも、バスに乗ることも、スターバックスでコーヒーを注文することも、息苦しくて冒険になった。
しかし、一日二日経てば、少しずつ方法が見えて節約して使う要領とその方法が分かるようになった。

こんな言葉がある、

若い時は、一生にただ一度尋ねて来るけど、その記憶は永遠だ。
―ベリーレビンスンの映画 [リバティーハイツ]の中で―

そうだ、その通り、私はいい機会があり、それを楽しんだだけだ。しかし、その記憶は永遠であること、いい旅行記が書けた事を感謝する。

長く、つまらない文にお付きあいくださり、お読み頂き有難う御座いました。

ええじゃん自習勉強会のご案内

廿日市市民活動グループ「ええじゃん(Asian)」 自主研修講座第1回
外国人労働者の『研修制度』とは?その現場から
 主催  市民活動グループ「ええじゃん」
日 時: 2009年5月26日(火曜日)18:30~20:00
場 所: 廿日市市 市民活動センター1階会議室
廿日市市住吉二丁目2番16号(確定申告会場、元法務局向い)
講 師: 王 也 さん
(中国長春出身、広島生活12年間、外国人研修生の受け入れ業務に従事)
参加費: 500円   申し込み: TEL&FAX(0829)31-2224
(次回は6月20日(土)15:00~16:30「在日外国人のニッポン生活の条件」尹成化講師)
市民活動センターへの公共交通機関:
広電宮島線:廿日市市役所前駅から、徒歩13分(900m)/広電廿日市駅から、徒歩10分(750m)
JR山陽本線:JR廿日市駅から、徒歩13分 (900m)
広電バス郊外線(国道2号):榎浦橋バス停(楽々園経由)から、徒歩8分(500m) /廿日市バス停(バイパス経由、楽々園経由)から、徒歩8分(500m)
________________________________________
FAX用紙           「ええじゃん(Asian) 自主研修講座第1回
参加申込書
お名前(ふりがな)                 性別   男  女
ご住所 〒                             
日中連絡出来る連絡先 Tel:                     
質問など
外国人が住みよい町は日本人も住みよい!誰でも出来る助け合いから!
ニッポン生活支援無料相談会
日時:定例相談会は毎週日曜日13時30分~16時
場所:JR廿日市駅前「ええじゃん」2階(オレンジショップ商店街)
予約:携帯 080-6330-5427(担当:尹 ユン)    電話&FAX 0829-31-2224
   メール:kkurisan@hotmail.com(栗林)
駐車: 駐車は1台のみ可。近くに有料パーキング有
相談員:韓国・中国・フィリピン出身の永住者と司法書士、行政書士等
相談内容:在日外国人および日本人が抱える次のようなご相談を受けます。
○ 交通事故、借家、借金、契約、進学、病気、介護、離婚、ビザ、永住等
○ 相談を受け、問題点の整理、制度・手続き等の説明、担当窓口・専門家の紹介等を行う。
○ 必要あれば通訳、翻訳等(実費負担)も行う。
廿日市市の住民グループ「ええじゃん」が在日外国人の無料相談に取り組んでいる。行政書士や司法書士ら日本人と韓国、中国、フィリピン出身の日本在住者の計10人が協力し、日常生活の切実な悩みに応じている。グループは同市駅前の栗林克行さん(66)を代表にまちおこしや国際交流などを続ける。昨年9月から無料相談を始めた。相談に応じる外国人は日本在住が11~27年。相談者と同じ国の人がまず話を聞き、日本人スタッフがサポートする。生活保護申請に付き添ったり、家探しで一緒に不動産会社を回ったり…。交通事故の保険申請や、子どもの塾選びを手伝うことも。「日本人と外国人が互いの立場を理解し合える社会にしたい」と栗林さん。31日午後3時半からJR廿日市駅前の事務所で無料相談会を開く。電話0829(31)2224。【写真説明】外国人からの相談案件について対応を話し合う「ええじゃん」のメンバーたち  (中国新聞2009年1月23日朝刊)
市民活動グループ「ええじゃん(Asian)」は、「ニッポン生活サポート相談」の他にも「国際理解講座、会話教室、はたおり教室、パソコン塾」など多彩な活動を行っています。皆様のご参加を待っています。
!募集中!
★ 中国語会話(水曜日18:30~20:00)
★ 韓国語会話(土曜日13:30~15:00)
★ 韓国料理教室(随時)
★ 翻訳・通訳(中国語、韓国語、タガログ語等)
○ 廿日市国際交流協会主催の「国際サロン」が毎月
 第4土曜15時~市民活動センターで人気開催中です。
ええじゃんもニッポン生活トラブル対策を説明します。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。